いしてじ|真言宗豊山派|熊野山(くまのざん)
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【熊野山(くまのざん)虚空蔵院(こくぞういん)石手寺(いしてじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
寺の起源は、伊予の国主・越智玉純(おちたまずみ)が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、熊野12社権現を祀ったという寺伝による。玉純は728(神亀5)年に聖武天皇の勅願により、鎮護国家の道場として伽藍を創建。翌年729(天平元)年に行基菩薩が薬師如来像を刻んで本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。813(弘仁4)年に弘法大師(774-835)が真言宗に改め、衛門三郎再来の説話から892(寛平4)年に石手寺と改称。

【51_T.Hamada's view】
三重塔

【51_マントラ洞窟】
道後温泉に近く、傍には石手川が流れる美しい寺。本堂の横には「マントラ洞窟」と呼ばれる洞窟が。中にはお地蔵さんがあり、参拝することができる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
道後温泉かとても近くです。国宝、重要文化財が多くあります。石手寺となった由来は、衛門三郎が、薄汚れた僧が一晩泊めてくれないかと頼み込んだ際、三郎は仕事に夢中で聞こえず、僧がしつこい為、忙しい、働かないからだと突き飛ばしたとか。その時に持っていた托鉢の鉢が八つに割れ、その僧は実は弘法大師で落胆して、その後三郎の八人の男子が次々に死んでいった。衛門三郎は、最愛の子をなく怠け者よばわりされ家をすて身を忘れてあの僧に会いたいと出る。四国を二十一回まわり、三郎の姿はあの薄汚い僧のように。彼はことごとく宿を断られ、ときにやさしく迎えられた。「ああ、人の心を知りぬれば、さはあらじを」。遂に阿波の国焼山寺の麓で病に倒れ息も絶え絶えになる。その時突然弘法大師が枕元に現れ「よくぞ修行し改心した。望みが有ればかなえよう」と言うと、三郎は「生まれ変われるものならば、領主に生まれ人を助けたい。今度こそはお泊めしたい」と言うと、彼の手に一寸八分の石に衛門三郎と彫み授けた。衛門三郎は安心して息を引き取った。それより幾許の年月をへてかこの地の豪族河野息利に男子が生まれたが右の手は握ったままで開かないので、この寺で祈願したところ手の中から”衛門三郎”と書かれた石がでてきた。そこでこの石を当山に納め、寺号を安養寺から石手寺に改めた。現在”衛門三郎玉の石”は宝物館に安置してある。
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