いしてじ|真言宗豊山派|熊野山(くまのざん)
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楽しみ方石手寺のお参りの記録一覧
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道後温泉に来ています。あまり下調べせず来てしまい、お土産物屋さんで「お寺にお参りしたい」と世間話したら道順を教えてくれました。道後公園を右手に見ながら、大きな道路を道なりに行くと20分もしないで着きました。公園に寄り道しましたが、大きくて立派でこれから秋にかけて散歩するのにおすすめです。
本題のお寺ですが、札所の五十一番目になっていて平日の割に人がいました。子育ての女神、鬼子母神さんが奉られている訶梨帝母堂が有名だそうです。子供に関係があるからなのか前掛けのお地蔵さんがたくさん並んでいます。洞窟もありますが遠慮しました、落盤したら怖いので。でも、この洞窟見たさに来ていらっしゃる方も。独特の雰囲気がたまらないのでしょうか?昭和レトロな感じもしますね。
お堂も三重?五重?塔を始め沢山建っていますが、仏像オブジェ的な縁起物があちこちに置かれています。
あまり手入れが行き届いて無い?資金も厳しいので仕方ないのでしょうが、プラスチックの入れ物、掃除用具?家財道具がそこら辺に放置されていたり。境内が混沌としてます。


石手寺参拝しました🎵
見どころ満載です。もちろん洞窟も行きました。恐い方は、行かないらしい。
今回は徒歩で移動です。
一度ずるしてレンタサイクル移動しました😊
この日は雨予報のため、晴れているうちにとガツガツ飲食せずまわり、靴もスニーカーではなく雨OKのやつで久しぶりに足がつってしまった💦水分補給と靴大事だな。
道後温泉駅坊ちゃんからくり時計→(白鷺珈琲:モーニングありスイーツあり。お腹がいっぱいで一日行けなかったけど朝ごはんとらずにここくればよかったな)→義安寺→伊佐爾波神社→中島神社→湯神社→円満寺→宝厳寺→金兵衛(ランチ)→松山神社→愛媛県護国神社→(レンタサイクル移動)→(行くなら義安寺後、今回は雨かもと少し遠い所は後回しに💦)石手寺→道後温泉別館飛鳥の湯
道後温泉いいところだったな~
また来る!
車なしでも、徒歩でまわれる。空港から、バス豊富。レンタサイクルも気軽。きやすいな~

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の4寺院目です。
こちら石手寺さん 見ることろが多すぎます。見て回るのにかるく2時間以上かかります。
境内が広くて建物も多い。それだけでなく裏手の山にも権現さんや巨大な弘法大師さんがいらっしゃったり 私はお山は諦めました。それでも1時間以上かかりました。
まず大きな街道沿いにある入口は 川沿いになっていてそこに手水があります。水量が多くて冷たくて 真夏にはずいぶん助かります。
お土産屋さんが並ぶアーケードのような参道を歩くと 先に仁王門があります。
お土産屋さんがこれだけ常設なのは 参拝者がとても多いということでしょうね。
仁王門をくぐると 中央だけ広く開いているものの 回りはすべて建物で囲まれている感じでした。
多い建物の中で やはり中央の三重塔はひときわ目立ちます。
いつものように 本堂からぐるぐるとまわり 不思議な洞窟の入口にたどり着きました。
事前に下調べをしていなかったので ちょっとミステリアスで楽しみでした。
最初だけ明るくなっていますが 20歩も進むとほぼ真っ暗になりました。
途中に何かあるのは分かりますが それが何かよく見えません。
しょうがないので スマホで10秒ぐらい動かずに撮りました。
突き当りは外の道につながっているのですが 岩を置いてあってUターンでした。
ぐるっと出てきたら大師堂の裏でした。
三重塔のまわりには 四国八十八か所霊場お砂撫でというのがありました。
踏まずに撫でるわけですね。
めちゃくちゃ暑かったのですが 洞窟があったおかげで苦しまずにすみました。
山号は熊野山 院号は虚空蔵院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)天平元年(729年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:西方をよそとは見まじ安養(あんよう)の 寺に詣りて受くる十楽(じゅうらく)
でした。
由緒については
寺伝によれば 神亀5年(728年)に伊予国の太守 越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。
これは聖武天皇の勅願所となり 天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。
創建当時の寺名は安養寺 宗派は法相宗であったが 弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ 真言宗に改めたとされる。
寛平4年(892年)領主・河野息利に生まれた長男・息方が当寺で祈祷を受けると握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり 七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。
永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが 本堂や仁王門 三重塔は焼失を免れている。
とありました。

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