いしてじ|真言宗豊山派|熊野山(くまのざん)
石手寺のお参りの記録一覧
石手寺参拝しました🎵
見どころ満載です。もちろん洞窟も行きました。恐い方は、行かないらしい。
今回は徒歩で移動です。
一度ずるしてレンタサイクル移動しました😊
この日は雨予報のため、晴れているうちにとガツガツ飲食せずまわり、靴もスニーカーではなく雨OKのやつで久しぶりに足がつってしまった💦水分補給と靴大事だな。
道後温泉駅坊ちゃんからくり時計→(白鷺珈琲:モーニングありスイーツあり。お腹がいっぱいで一日行けなかったけど朝ごはんとらずにここくればよかったな)→義安寺→伊佐爾波神社→中島神社→湯神社→円満寺→宝厳寺→金兵衛(ランチ)→松山神社→愛媛県護国神社→(レンタサイクル移動)→(行くなら義安寺後、今回は雨かもと少し遠い所は後回しに💦)石手寺→道後温泉別館飛鳥の湯
道後温泉いいところだったな~
また来る!
車なしでも、徒歩でまわれる。空港から、バス豊富。レンタサイクルも気軽。きやすいな~
この木に苔が素晴らし
この形がかっこいい
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の4寺院目です。
こちら石手寺さん 見ることろが多すぎます。見て回るのにかるく2時間以上かかります。
境内が広くて建物も多い。それだけでなく裏手の山にも権現さんや巨大な弘法大師さんがいらっしゃったり 私はお山は諦めました。それでも1時間以上かかりました。
まず大きな街道沿いにある入口は 川沿いになっていてそこに手水があります。水量が多くて冷たくて 真夏にはずいぶん助かります。
お土産屋さんが並ぶアーケードのような参道を歩くと 先に仁王門があります。
お土産屋さんがこれだけ常設なのは 参拝者がとても多いということでしょうね。
仁王門をくぐると 中央だけ広く開いているものの 回りはすべて建物で囲まれている感じでした。
多い建物の中で やはり中央の三重塔はひときわ目立ちます。
いつものように 本堂からぐるぐるとまわり 不思議な洞窟の入口にたどり着きました。
事前に下調べをしていなかったので ちょっとミステリアスで楽しみでした。
最初だけ明るくなっていますが 20歩も進むとほぼ真っ暗になりました。
途中に何かあるのは分かりますが それが何かよく見えません。
しょうがないので スマホで10秒ぐらい動かずに撮りました。
突き当りは外の道につながっているのですが 岩を置いてあってUターンでした。
ぐるっと出てきたら大師堂の裏でした。
三重塔のまわりには 四国八十八か所霊場お砂撫でというのがありました。
踏まずに撫でるわけですね。
めちゃくちゃ暑かったのですが 洞窟があったおかげで苦しまずにすみました。
山号は熊野山 院号は虚空蔵院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)天平元年(729年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:西方をよそとは見まじ安養(あんよう)の 寺に詣りて受くる十楽(じゅうらく)
でした。
由緒については
寺伝によれば 神亀5年(728年)に伊予国の太守 越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。
これは聖武天皇の勅願所となり 天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。
創建当時の寺名は安養寺 宗派は法相宗であったが 弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ 真言宗に改めたとされる。
寛平4年(892年)領主・河野息利に生まれた長男・息方が当寺で祈祷を受けると握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり 七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。
永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが 本堂や仁王門 三重塔は焼失を免れている。
とありました。
こんもりした所が入口です
石柱
門 じゃないか
前に川
手水になるのかな
お土産屋さんの入った参道
仁王門
恵比寿さん
境内全景 入りきらない
鐘楼
阿弥陀堂
内陣
愛媛バゴダ
本堂前に独鈷
本堂
内陣
ミニ四国八十八箇所の登山口
暑いけど涼しそう
マントラ洞窟入口
説明があり
ちょっと怖そう
明るかった のは最初だけ
実は真っ暗
ここも本当は何も見えなかった
本当は何も見えなかった
外に出られないように
ここがゴール そしてUターン
出てきたところ
正面に
大師堂
内陣
絵馬堂
一切経堂
護摩堂
弥勒堂
鐘楼
三重塔
四国八十八か所霊場お砂撫で
東門
辨天社
本殿
香炉
お茶堂
内陣
弘法大師像
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
47番 石手寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
47番 石手寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
47番 石手寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
47番 石手寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
47番 石手寺
以前四国88所巡礼で参拝した時に重文指定されている五輪塔を見逃しており、近くまで来たので再び参拝。
お寺の人に場所を聞いて見に行ったが最初は分からず、教えられた場所をうろうろしてやっと発見。
伸びきった草むらの中に隠れるように建っておりこれは初見では無理。
とても重文とは思えない扱いなのが残念。
鎌倉時代後期に源頼義の供養塔として建造された。江戸時代は石手寺門前にあったようだが1995年もと建っていた場所に近い現在地に戻された。
山門
山門
仁王門(国宝)
仁王門(国宝)
仁王門(国宝)
金剛力士像(重文)
金剛力士像(重文)
本堂(重文)
本堂(重文)
本堂(重文)
本堂(重文)
三重塔(重文)
三重塔(重文)
本殿
鐘楼(重文)
阿弥陀堂
訶梨帝母天堂(重文)
訶梨帝母天堂(重文)
護摩堂(重文)
五輪塔(重文)
五輪塔(重文)
所用で近くまで来たので立ち寄りました
四国八十八箇所の第51番札所になります
子供の頃から初詣に家族で行くことがよくあり慣れ親しんだ場所です
広大な敷地に幾つもの御堂があり、国宝や重要文化財も多くあります
紹介しているサイト等ではB級スポット的な扱いをされていることがあります
たしかにそこはかとなくそういった雰囲気も感じますね
行くたびに新しく造られたものがあったり、逆に以前はあったのものがなくなっていたり…
見どころは充分すぎるくらいあります
今日も全体を回るのに1時間半くらいはかかりました
手水舎
初めて気がついたのですが手水鉢に三島の御紋がありますね
どういった関連があるのでしょう
初詣や縁日は出店で賑わうのですが平時は開いているお店はまばらです
子育地蔵尊
国宝の仁王門
仁王像は国の重要文化財です
大わらじに沢山の賽銭が埋め込まれていました
本坊(立ち入り禁止)
仏陀の庭
納経所・お茶堂
本堂
絵馬殿
三重の塔
水天
知足天
護摩堂
一切経堂
大師堂
鬼子母神子宝石
穴地蔵
マントラ洞窟入口
入場料は百円です
ところどころ電球が切れていて真っ暗な箇所があります
今日ここで他の参拝者に会ったのはおひとりだけでした
足元も不安定なのでご年配の方には敬遠されがちかもしれません
私は子供の時からちょっとした冒険心をくすぐられるワクワクする場所なのです
歩くうちに心がしいんと静まります
北側の出口
こちらは東側の出口から出たところ
らくがき堂前
お山四国登山口
石段の上りはまあまあ息が切れる感じです
落ち葉で埋め尽くされているので滑らないように慎重に歩を進めます
愛媛パゴタ
ビルマ戦の戦没者の慰霊塔です
出入りは自由にできます
中には資料や遺品等が陳列されています
水子地蔵・鎮魂の場
何かあると思い近寄ってみたら古墳でした
石手寺の中に古墳があるのも今日はじめて知りました
休憩処にプーさんがいたので一緒に(?)石手名物の焼きもち
大曼荼羅壇
これはわりと新しく造られたものですね
何をするところなのかはよくわかりません
幸せの鐘
阿弥陀堂
四国八十八ケ所霊場 第51番札所
山号:熊野山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
今回2度目のお参りです。暑さがピーク。"氷"の旗が気になりますが、先ずはお参りから。根性で通り過ぎました。🤭
石手寺さん。衛門三郎さんゆかりのお寺さんです。
衛門三郎が亡くなるとき、弘法大師は、望みを聞きます。すると「来世は河野家(愛媛の領主)に生まれ人の役に立ちたい。」と言います。弘法大師は、路傍の石に「衛門三郎再来」と書き握らせます。
翌年、河野家に左手を握りしめた男の子が誕生します。両親は、お寺に連れて行き祈祷してもらいます。すると、「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきます。その石はお寺に納められ、祀られているそうです。このことから、寺号が、「石手寺」と改められたそうです。😌
帰りに"カキ氷"いただきました。🤭
生き返りました!🙌
ご本堂
大師堂
三重塔
1566年(寛永9年)に兵火を受け建築物の大半を失いましたが、本堂仁王門、三重塔は、焼失を免れたそうです。
いただいた御朱印
札所51番 石手寺
道後温泉に比較的近いお寺。
街中にありますが大きなお寺です。
「マントラ仏の生命の流れ」という洞内巡礼ができたり、清浄洞窟という真っ暗な洞窟に入れます。
本堂
大師堂
近くの松江城にも向かいます。
今まで行った中で一番と言えるくらい素敵なお城でした。
四国88所巡礼で参拝。51番札所。
本尊は薬師如来。前回の参拝は夕方で時間切れとなり、十分見きれなかったので、今回は朝から参拝した。
衛門三郎が空海への非礼を詫びる為に、後を追って四国を巡った旅が四国遍路の始まりとされており、この衛門三郎は伊予の国主として生まれ変わり善政を敷いたといわれる。
この衛門三郎の生まれ変わりが、河野息利の子供とされ当寺で祈祷を受けた際、握っていた手から「衛門三郎再生」と書かれた石が現れたという伝説がある。
この石は宝物館に収蔵されている。
本堂裏手には、マントラ洞窟と呼ばれる地下道がある。金剛界、胎蔵界のマントラを表現しているらしい。不気味な像があちこちに出てくる。
奥まで抜けると、その先にマントラ塔がある。納骨堂のようだ。リアルな五百羅漢像に囲まれており気味が悪い。
本坊には、お釈迦様の生涯を表したレリーフが展示されており、隣の敷地には大日曼荼羅石像が安置されている。奈良の壷阪寺に似た雰囲気である。
本堂、三重塔、訶梨帝母天堂、護摩堂、鐘楼は重文。山門は国宝。
本堂
本堂
本堂
大師堂
衛門三郎像
山門
三重塔
マントラ洞窟
マントラ洞窟入口
マントラ洞窟出口
マントラ塔
五百羅漢
五百羅漢
訶梨帝母天堂
一切経堂
護摩堂
衛門三郎再生石
鐘楼
四国八十八ヶ所お遍路第51番札所、熊野山虚空蔵院石手寺。伊予国司越智玉純が夢に熊野十二社権現、二十五菩薩が来臨するのをみて十二社権現を祀り勅願所とした。ご本尊は薬師如来、行基菩薩開眼。賑やか、国際的な色調。配置も異色と思いましたが、霊場随一の寺宝文化財を有するお寺だそう。
仁王門は国宝。
鎌倉末期重要文化財の三重塔。
本堂め重要文化財。
道後温泉のスタバ。
道後温泉に泊まりました。石手寺はすぐ近くです。
道後温泉。
愛媛県下の国の重要文化財(建造物)49のうち7つが石手寺にあり、そのなかでも仁王門は国宝。
石手寺は道後温泉から1km程と近く、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎伝説ゆかりの寺としても知られ、愛媛県を代表する四国八十八ヶ所霊場の1つです。
広大な敷地には重要文化財の建造物のほか、七転八起を祈る元気石やマントラ洞窟、四国八十八ヶ所お砂撫で(おすななで)など見どころ満載なお寺。
また、観光ガイドブックの『ミシュラングリーンガイドジャパン』で1つ星にも選定され松山観光の定番スポットとして人気です。
大勢のお遍路さんや観光客が訪れているのはもちろん、四国の弘法大師ファンの中心的なお寺であり、初詣の参拝者数は愛媛県内トップの24万人以上と、地元でも多くの人々に愛されています。
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