やさかじ|真言宗醍醐派|熊野山(くまのざん)
八坂寺愛媛県 梅本駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内左側 50台(無料) |
1泊2日四国八十八か所巡り。1日目の6寺院目です。
浄瑠璃寺から歩いてもすぐの場所にあります。
今まで四国で50ほど巡ってきましたが その中で最も新しいと思ったお寺です。
山門から見ても分かるように わりと最近修復されているようです。
本堂もコンクリート造りで内陣もとてもきれいです。
大師堂はやや古い建物ですが やはりきれいで 内陣もきれいです。
本堂と大師堂の間に 閻魔堂がありました。
極楽の途と地獄の途 2つの道がありました。
写真でも分かると思いますが 内側に地獄絵と極楽絵が描かれており 足元の石がとげとげのものと丸まったもので区別されていました。
裸足で歩いたら 違いを感じられるわけです。
御朱印を拝受する時に ご住職と少しお話をさせていただけました。(どこから来たとか)
お寺の裏手には 広~い墓所 いや霊園がありました。
檀家さんがとっても多いことがすぐに分かります。
山号は熊野山 院号は妙見院 宗旨宗派は古義真言宗醍醐派 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)大宝元年(701年) 開基は(伝)役行者、文武天皇(勅願)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏(さんぶつ)じょうの縁(えん)とこそきけ
でした。
由緒については
寺伝によれば役行者によって開基され 大宝元年(701年)に 河野玉澄の兄である伊予の国司・越智玉興が 文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。
このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれ ますます栄える彌榮(八坂)にも由来している。
一時荒廃するが 弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。
本尊の阿弥陀如来は源信(恵心僧都 942 – 1017)の作と伝えられる(現本尊は鎌倉時代後期の作)。
とありました。
山門
天井絵
納経所
手水
鐘楼
由緒書
観音様
句碑
説明
修行大師像
本堂
内陣
新しくてきれいです
香炉
大師堂
内陣
閻魔堂
地獄の途
地獄絵図
足元にはとげとげした石が敷き詰められている
極楽の途
六道 人道
極楽絵図
敷き詰められた石が丸くなりました
通行手形 もらい忘れました
開山神變大菩薩
駐車場にいやさか不動尊
田園のゆるやかな坂の上に、四国八十八ヶ所の第47番札所 熊野山妙見院 八坂寺があります。
その歴史は古く修験道の開祖 役行者小角が600年代に開山、701年(大宝元年)に文武天皇の勅願寺として伊予の越智玉興公が七堂伽藍を創建。この時、大友山(大友城址)に8ヶ所の坂を切り開いて伽藍を創建したことから「八坂」という名前が付けられました。815年から滞在した弘法大師が荒廃していた寺を再興し、四国八十八ヶ所霊場に定めます。修験道の根本道場として栄え、12坊84末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺でしたが、天正年間の兵火のため伽藍は焼失し再興に至ります。
本堂と大師堂の間に閻魔堂があります。美しい浄土を描いた「極楽の途」と修羅道などを描いた「地獄の途」があり、地獄から入って極楽から出ると極楽浄土へ行けると言われています。今までの過ちを閻魔大王の前で悔い改める決意をし、不殺生・不偸盗・不妄語などの「十善戒」の教えを守ることを誓うという「極楽往生通行手形」があります。棺の中に1緒に納めると、極楽へ行くことができると言われています。
【熊野山(くまのざん)妙見院(みょうけんいん)八坂寺(やさかじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗醍醐派
開基:役行者小角
八坂寺は、修験道開祖・役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が開基と伝えられる。1,300年の歴史を有する古い寺。飛鳥時代701(大宝元)年、第42代 文武天皇(在位697-707)の勅願により伊予の国司、越智玉興(おちたまおき)公が堂塔を建立し、このとき、8ヶ所の坂道を切り開いたことが寺の由来とされる。その後、荒廃していた寺を弘法大師(774-835)が訪れ、四国霊場として再興した。寺はやがて修験道の根本道場となり、僧兵を抱えるほど大いに栄えたが天正の兵火で焼失してからは寺域も縮小し、現在の境内は、十二社権現と熊野権現が祀られていた宮跡である。
一方で、2005(平成17)年、柴燈護摩(さいとうごま)道場が建立され、毎年4月には火渡り修行が行われるなど、かつての修験道が復興されている。
【47_T.Hamada's view】
山門
【47_柴燈大護摩供火渡り修行】
元来、修験道の道場で、現在も毎年4月29日の大祭には、燃え盛る芝生の上を裸足で渡る「柴燈大護摩供火渡り修行」が行われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【47_柴燈大護摩供火生三昧火渡り修行(さいとうおおごまくかしょうざんまいひわたりしゅぎょう)】
2023(令和5)年4月29日開催の模様。今年で19回目、雨天決行。
【47_本堂】
【47_大師堂】
【47_山門】
【47_山門の天井画】
22の菩薩と阿弥陀如来が描かれている。
【47_龍の手水舎】
【47_閻魔堂】
本堂と大師堂の間。「極楽の途」「地獄の途」があり、極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれている。
【47_極楽の途】
【47_地獄の途】
【47_開山神變大菩薩(じんべんだいぼさつ)】
開祖・役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)の像
【47_不動明王像(いやさか不動)】
【47_柴燈大護摩供火生三昧火渡り修行(さいとうおおごまくかしょうざんまいひわたりしゅぎょう)】
八坂寺大祭(火渡り修行)の一場面。宝弓。
浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。
住所 | 愛媛県松山市浄瑠璃町773 |
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行き方 | 伊予鉄バス 八坂寺前バス停
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名称 | 八坂寺 |
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読み方 | やさかじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 駐車場にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 089-963-0271 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
伊予十三仏霊場 第10番 | 御本尊:阿弥陀如来 |
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四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 熊野山(くまのざん) |
院号 | 妙見院(みょうけんいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗醍醐派 |
創建時代 | 大宝元年(701) |
開山・開基 | 役行者小角 |
文化財 | 阿弥陀如来坐像(愛媛県指定有形文化財)
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ご由緒 | 浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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