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やさかじ|真言宗醍醐派熊野山(くまのざん)

八坂寺
愛媛県 梅本駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月13日(火)3234投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。1日目の6寺院目です。
浄瑠璃寺から歩いてもすぐの場所にあります。
今まで四国で50ほど巡ってきましたが その中で最も新しいと思ったお寺です。
山門から見ても分かるように わりと最近修復されているようです。
本堂もコンクリート造りで内陣もとてもきれいです。
大師堂はやや古い建物ですが やはりきれいで 内陣もきれいです。
本堂と大師堂の間に 閻魔堂がありました。
極楽の途と地獄の途 2つの道がありました。
写真でも分かると思いますが 内側に地獄絵と極楽絵が描かれており 足元の石がとげとげのものと丸まったもので区別されていました。
裸足で歩いたら 違いを感じられるわけです。
御朱印を拝受する時に ご住職と少しお話をさせていただけました。(どこから来たとか)
お寺の裏手には 広~い墓所 いや霊園がありました。
檀家さんがとっても多いことがすぐに分かります。

山号は熊野山 院号は妙見院 宗旨宗派は古義真言宗醍醐派 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)大宝元年(701年) 開基は(伝)役行者、文武天皇(勅願)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏(さんぶつ)じょうの縁(えん)とこそきけ
でした。

由緒については
寺伝によれば役行者によって開基され 大宝元年(701年)に 河野玉澄の兄である伊予の国司・越智玉興が 文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。
このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれ ますます栄える彌榮(八坂)にも由来している。
一時荒廃するが 弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。
本尊の阿弥陀如来は源信(恵心僧都 942 – 1017)の作と伝えられる(現本尊は鎌倉時代後期の作)。
とありました。

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歴史

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。

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八坂寺の情報

住所愛媛県松山市浄瑠璃町773
行き方

伊予鉄バス 八坂寺前バス停
46【浄瑠璃寺】より
(自家用車)約5分 約1km
(徒歩)約15分 約1km
48【西林寺】より
(自家用車)約8分 約4km
(徒歩)約1時間 約4.5km

八坂寺の基本情報

名称八坂寺
読み方やさかじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号089-963-0271

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号熊野山(くまのざん)
院号妙見院(みょうけんいん)
宗旨・宗派真言宗醍醐派
創建時代大宝元年(701)
開山・開基役行者小角
文化財

阿弥陀如来坐像(愛媛県指定有形文化財)
宝篋印塔、層塔(松山市指定有形文化財)

ご由緒

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。

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