ふなばしとうしょうぐう
船橋東照宮のお参りの記録一覧
千葉県船橋市本町に鎮座する神社で、現在は小さな祠が残るのみであり、「日本一小さい東照宮」の異名を持つ。
この東照宮は慶長17年(1612)に家康の命を受け、伊奈忠政が建てたとされる船橋御殿の跡地に船橋大神宮の富氏が貞享年間(1684~1687)に建立したものであると言われている。現在の建物は1857年に再建、1927年に修繕されたものである。
京成🚃千葉神社巡り⑤日本一小さいらしい『船橋東照宮』
わかっていて伺いましたが、ホントに小さく可愛らしい東照宮 (*´∇`)ノ
見ざる🙈言わざる🙊聞かざる🙉のトリオにも会えました💓
小さくても参拝客は次々と~私の後にもお二人♪
徳川将軍家の船橋御殿跡地に建てられた、、ちょっと記念碑的な印象を受ける東照宮(個人的な感想で申し訳ありません💦)。同じく家康公が御祭神として祀られている船橋大神宮の常磐神社を先に見ているので、尚更そんな風に感じたのかもしれません。
次は、検見川神社へ向かいました~
三つ葉葵の神幕にテンションが上がります😄
可愛らしいトリオ!
見ざる🙈言わざる🙊聞かざる🙉
左が船橋東照宮
右には御殿稲荷😊
船橋御殿は一帯の12000坪の面積、、今はビッシリと住宅が建っています
手水舎
すぐ後ろも住宅ですが、小さな境内は三方を囲まれています
この矢印『日本一ちいさい 船橋東照宮』を曲がり
住宅地の細い路地 (参道?) の先にありました。
目指して行かないと気付かないと思います😅
東照宮というと、静岡県にある久能山東照宮、日光東照宮が有名であるが、大小合わせて100以上あるのだという。
そして、今回訪れたのが船橋市にある東照宮だ。船橋駅から歩いて10分ほどだ。
ここは、日本1小さい東照宮だとのこと。
元々は徳川家の御殿だったとか。
船橋御殿は東金周辺に鷹狩りに出掛ける徳川家康のために造られたもので、慶長19年(1614)前後に造営されたと考えられています。家康の子、2代将軍秀忠も宿泊・休憩しましたが、それ以後、将軍家の東金周辺での鷹狩りは催されず、船橋御殿は廃止されました。同地は貞享年間(1684~88)に船橋大神宮神職の富氏に払い下げられ、それからしばらくし、富氏は御殿跡の中心部に家康を祀る東照宮を建立したと伝えられています。現在の東照宮の社殿は安政4年(1857)に再建され、昭和2年(1927)に修繕されたものです。
(船橋市教育委員会より)
小さいながらも、しっかりとした存在感であり、船橋市の不動産屋が買い占めたいと思ってもムリであろう。
よし!全国の東照宮を制覇するまでは、まだまだ歩いて頑張るぞ、交通費を稼ぐ為に仕事も頑張ると誓ったのであった。
小さい神社ながらも、しっかりと徳川の葵の御紋がわかる。
こんな場所に東照宮??
ってくらい住宅に囲まれた場所にあります。
船橋駅から15分くらい歩いたと思います。駅前の繁華街を離れた場所、これまでの東照宮のイメージとは全く異なり、金ピカ感は無く、とても小さいです。100以上ある東照宮の中で最小みたいです。東照宮って書いてあるだけで存在感ありますよ🙈
由緒書によると、元々は船橋御殿という旅館?があり、家康や二代目秀忠が東金で鷹狩をするための道中で利用していた場所だそうです。その跡にできたのが船橋東照宮。当時はもっと大きかったんでしょうねー
無人です。御朱印も無さそうですね。
葵ッス💪
グーグルマップで向かったところ、結構狭い道を通らされます。
裏の方から到着!私は鳥居の右側の細い道から出てきました。
まわりは住宅だらけでしょ
正真正銘の東照宮です。
手水舎。水道がついてます
鳥居をくぐったところです。正面に東照宮社殿、右に稲荷神社があります。
由緒書
不動産の勉強会に出た後に、近かったので立ち寄ってみました。気が長くじっくり成功するタイプの家康公にあやかって。
ウィキペディアには「小さな祠しか残ってない」と書いてありましたが、実際訪れてみると結構立派なもので、手入れも行き届いている様子でした。
稲荷と東照宮権現が並んでます
日光でもお馴染み、見猿聞か猿言わ猿が足元に!
秀忠公(2代目将軍)にも感謝してます・・・が手水舎は水が出ず^^;
凛々しい顔のおいなりさんの向こうに小さな・・なんて言うんだっけ、あれ?(御神体?)
裏から入る道は民家に挟まれたこんな小径!
脇の小径から
境内から外の方に向けて撮影
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
42
0