しまあなじんじゃ
島穴神社のお参りの記録一覧
房總三國神社御朱印めぐり、島穴神社を参拝しました。
大宮神社の駐車場で、次どこへ向かうか考えて(行き当たりばったりです)、島穴神社を参拝することに。
房總三國〜の神社案内帳には、参拝前に宮司宅にお電話、とのこと。連絡すると、女性が出て住所を教えていただいたのでその場でカーナビに入力、道路に「島穴神社宮司自宅」と看板も出ていたので迷わず行けました。
玄関に入ると高齢の男性(宮司様?)が立っていて、「先ほど電話差し上げた者です」と伝えると、「はいはいはいはい」と言いながら御朱印帳と連絡帳を受け取り、部屋に入られて浄書されお返しいただきました。
ご自宅を出てから島穴神社へ向かったのですが、Googleマップが出してきたルートが、うちの車では到底無理な道で、夫が何度か道を変えてようやく到着。
苦労して到着した島穴神社、でもすごく素敵な神社でした。参拝の機会を与えていただいた房總三國神社御朱印めぐり、という企画に改めて感謝です。
帰り道、車の中から一の鳥居も撮影できました。
ただ、島穴神社を出てから車の中で連絡帳を見てみると、集印記録の島穴神社のところに印鑑がない! どうしよう、また宮司さんの自宅に行く?と思って島穴神社のページを見たら、そこに印と日付がありました。ま、いっか😆
お書き入れで拝受しました。
手前に橋もあり、雰囲気良いです。
車の中から鳥居の裏側を撮影。
同じく車の中から鳥居を撮影。
ここじゃないです😭
房総三國神社御朱印めぐり、上總國、島穴神社(市原市)です。前回(ふさのくに)参拝したときはカーナビで中々たどり着けなくて苦労ししましたが、今回はグーグルナビ(携帯)行き、迷うわ無く着きました。今回第一鳥居の写真は撮れませんでした。
写真ではわかりずらいですが、参道が直進では無く、少し曲がっています。宮司さんの奥様の話で話では、参道を長く歩くようにしてるようです。
こちらの神社で「ふさのくに御朱印めぐり」コンプリートになります。
他のクチコミで駐車場までが困難と有りましたが、確かに大変でした。神社廻りは小川と囲いのない小さな水田だらけで、軽自動車でも気を抜くと脱輪しそうです。道も狭く軽自動車でしか駐車スペースにたどり着けません。他の車種は神社正面の赤い橋を渡って右手に1台ほど止められます。
こちらの神社が最後に残ったのは要予約となっていたから。宮司さまが不在がちとのクチコミを良く見ていましたが、社務所に電気は点いていても不在でした。電話すると「行きます」とだけ言われて切られ、待つこと10分ほど。失礼ですが、かなり無愛想。取り敢えず無事にいただけました。
他のクチコミでは1.5キロ先の宮司さまの自宅に伺って受拝したと有ります。こちらの神社に行く時は事前に到着時間を伝えるか、ご自宅に伺うかを連絡した方が良いです。
3年くらいかけてコンプリート(集中して回ってないので)した最後の神社が嫌な気持ちで終わり残念ですが、それでも参拝してきた神社を思い出しながら帰路につきました。
島穴神社(しまあな~)は、千葉県市原市にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は、志那都比古尊(しなつひこ)、配祀神は日本武尊と倭比売尊(やまとひめ)。
『古事記』、『日本書紀』によると、日本武尊の東征の際、相模から海路上総に渡る時暴風雨に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救った記事があるが、社伝によると弟橘姫は大和国の龍田大社の神に上総までの航行の無事と風鎮めの神を祀ることを祈願したため、日本武尊は弟橘媛の遺志に従い当地に志那都比古尊を祀ったとしている。また、日本武尊の死後の景行天皇57年(127年)、日本武尊の父の景行天皇は日本武尊東征のゆかりの地を歴訪し、当地に日本武尊命、倭比売尊の神霊を合祀したとしている。
国史では、平安時代の877年に神階奉授の記載があり、927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 海上郡 島穴神社 小」と記載されている。なお、海上郡には式内社がもう1社「姉埼(あねさき)神社」があるが、両社は深い関係にあり、長く神輿が往来していたとのこと。明治時代の近代社格制度では県社に列した。
当社は、JR内房線・姉ヶ崎駅の北東3kmの平地の林の中、東京湾にそそぐ小川・前川のほとり、内房線の線路近くにある。正直に言うと、当社は水路が入り組んだ場所にあって、周辺は道路が十分に整備されておらず、バイクでのアクセスも楽ではなかったので、クルマで行くことはかなり困難かと思われる。ただ、一度境内に入ると、旧県社らしい広さがあり、立派な社殿を有している良い神社。
今回は、上総国の式内社、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、アクセスが不便なので誰もいないと思いきや、自分以外にも一人、神社好きと思しき人が参拝に訪れていた。
※当社は普段は無人。御朱印は、当社から数km離れた宮司さん宅で拝受。社務所に電話番号の記載がある。
境内南端にある<鳥居>と<社号標>。撮影位置のすぐ後ろには小川が流れていて、神橋が架かっている。
鳥居をくぐって、すぐ右手にある<手水舎>。
<拝殿>遠景。きれいに掃き清められ、凛とした雰囲気の境内。
<拝殿>全景。拝殿のサイズに対して軒のサイズが大きくてインパクトがある。
<拝殿>正面。
拝殿正面に掛かる<扁額>。独特で味のある筆跡は江戸幕府老中・松平定信の自筆。1797年に富津砲台築造の際、侍臣・田井柳造に命じて当社を参拝させ、海防安全、幕府安泰を祈願した。その後毎年祈願をし、1827年に自筆のこの扁額を奉納したとのこと。
<社殿>全景。拝殿も本殿も、派手な彩色はないがしっかり存在感がある。
社殿周りの境内社。こちらは<大六天社>。
社殿周りの境内社。こちらは<疱瘡神社>。
<おがたまの木>。雨の岩戸開きの時、天鈿女命(あめのうずめ)がこの木の枝を持って舞ったという木。
参道の右手、手水舎の奥にある<社務所>。
参道の右手にある<天神社>。
拝殿向かって左手にある<八雲神社>。
八雲神社の左隣にある境内社。左から順に<粟島神社>、<愛宕神社>、<子安神社>。
気になった、拝殿の軒の彫刻。派手ではないが細工が細かくて印象に残る。
当社までのサバイバル・ロード。前方右側の森が当社。車だと小さくないと、辿り着くのは難しいかも...
境内南側から、境内全景。良い神社なので、アクセス(道)がもう少し良かったら、もっと参拝者が来そうだけど...(^_^;)
式内社。上総国の西側はこの島穴神社と姉埼(あねさき)神社と飽富(あきとみ)神社。
拝殿の全体が写るのは動画で撮ってしまって写真はアップだけになってしまいました……。
物販が少しあるので、ここは誰かしら常駐してそうで御朱印はもらえそうでした。
第一の鳥居になるんでしょうか。
島穴神社の境内ではなく少し離れたところにある島穴社原地碑。線路に近いところに鎮座してました。
甥っ子の七五三詣に同行。実家が氏子で小さい頃から慣れ親しんできました。
歴史を遡ると日本武尊命東征の折に造られたとのことで、大変古い神社です。
八雲神社、浅間社、天神様もあります
いつもは静かな神社ですが、今日は3組七五三詣があるとのことでした
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