しらずのもりじんじゃ
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不知森神社について
入ったら二度と出られない神隠し伝説の神社
柵に囲まれたうっそうと茂った竹森。参拝可能な部分にあるのが不知森神社です。柵の中には決して入ってはいけません。竹林に入れば二度と出てこられない「八幡の藪知らず」と呼ばれ、恐れられています。徳川光圀(水戸黄門)はこの竹森にうっかり入ってしまったという伝説があります。竹林の主である妖怪に「今回は見逃してやる」と言われ、無事、光圀は竹林から出られたそうです。
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京成🚃千葉神社巡り⑧『不知森神社』
藪知らずに祀られた神社 (゚∀゚)
竹薮に吸い込まれそうな雰囲気…
街中にこんな場所があることに驚きした。
御朱印は葛飾八幡宮で拝領♪
~八幡の藪知らず~
北側が千葉街道 (国道14号線) に面した広さ約300坪 (昔はもっと広かったらしい) の不知八幡森(しらずやわたのもり)。東・南・西は人家との境を柵に囲われ、一度入ったら二度と出られないと語り継がれてきた場所。お化け屋敷や迷路のことを 「藪(やぶ)」 と呼ぶのは、この八幡の藪知らずの伝説からきているみたいです。
広辞苑には「ここに入れば再び出ることができないとか、祟りがあるといわれる。転じて、出口のわからないこと、迷うことなどにたとえる」と書かれ、江戸川乱歩や夏目漱石の小説にも、迷い込んで出られなくなることの喩えとして使われてるそうです。
国道14号線に面した竹薮と鳥居
ホントにビックリしました😆
市役所の向かいとは思えない!!
不思議な場所✨
小さな神社は森の鎮守の神様ですね😌
美しい和紙の書置き御朱印
デザインも素敵です✨
鳥居の左側には、御朱印の案内がありました
石の社号標
ここだけ時が止まったみたいでした🌿🌿🌿
【千葉県•市川市編①】
房總三國神社御朱印めぐりのひとつ葛飾八幡宮様へ行く前に、前から行ってみたかった、心霊番組でよく取り上げられている『八幡の藪知らず』にある不知森神社様へ行きました。
【不知八幡森(通称 八幡の薮知らず)国指定保安林】
「江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では『薮知らず』のことを載せています。そして『この薮余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。』とか、『薮の間口漸く十間(約18m)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹薮にして、細竹•漆の樹•松•杉•柏•栗の樹などさまざまの雑樹生じ……』などと書かれたりしていますが、一様にこの薮知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこられない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され、『諸国に聞こえて名高き所なり』と言われて全国的に知られていました。
入ってはいけない理由については⬇
・最初に八幡宮を勧請した旧地である
・日本武尊が陣所とされた跡である
・貴人の古墳の跡である
・平将門平定のおり、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある
・平将門の家臣6人が、この地で泥人形になった
…と、いろいろ言われてきました。
中でも万治年間(1658年〜1661年)、水戸黄門(徳川光圀)が薮に入り神の怒りに触れたという話が、後には錦絵となって広まりました。
『薮知らず』に立ち入ってはならないという本当の理由が忘れ去られたため、いろいろと取り沙汰されてきたものではないでしょうか。
またその理由のひとつとして、『薮知らず』が、『放生池』の跡地であったからではないかとも考えられます。
古代から八幡宮の行事に『放生会』があり、放生会には生きた魚を放すため、池や森が必要で、その場所を放生池と呼びました。薮知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が十分に考えられます。
市川市周辺地域は中世には千葉氏の支配下にありましたが、千葉氏の内紛で荒廃し、八幡宮の放生会の行事が途絶えてしまい、放生池には『入ってはならぬ』ということのみが伝えられてきたことから、以上のような話が作られていったものと思われます。
『不知八幡森』の碑は安政4年(1857年)春、江戸の伊勢屋宇兵衛が建てたものです。
ー「市川市教育委員会」案内よりー
国道14号沿いにあります。
なるべく全体を撮りたかったので、道路を渡った側から撮ったけど国道沿いなので車がなかなか途切れない😅
伸びている竹も、禁足地なので外側から手入れをするそうです。
八幡の藪知らずの中で神社のあるこの一画だけが入る事ができます。
不知森神社の御朱印は「葛飾八幡宮」様で拝受できます😊
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