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おおひじんじゃ

意富比神社
千葉県 大神宮下駅

社務所:9:00~16:00 
電話受付 : 9:00~17:00

御朱印について御朱印
あり

右に下総國船橋郷と書かれ、真ん中に延喜式内意富比田井神宮下総船橋の印が入った御朱印です。 御朱印…

限定
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御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

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からあげ
からあげ
2023年10月08日(日) 05時22分02秒
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前原の御嶽神社から車で20分ぐらいで到着、船橋の意富比神社を参拝しました。

意富比神社は正式名称、一般的には「船橋大神宮」で知られている神社です。私も千葉県民ですが、意富比神社の名前は最近知りました。

駐車場の入口がわかりにくいかもしれません。車でお出かけの際はGoogleマップで「船橋大神宮駐車場」を目的地に設定すると良いと思います。電車だと、京成線「大神宮下」駅から徒歩5分だそうです。

一の鳥居からくぐって参拝(参拝は神門前でします)、社務所で御朱印をお願いすると、「お書き入れしておきますので、境内を御散策ください。」とパンフレットをいただきました。

摂社・常磐神社をはじめ境内社多数、更には灯台まで! かつて、一の鳥居付近まで海だったそうです。見所たくさんで楽しかったです。

参拝したり写真撮ったりしながら社務所へ向かうと、「◯◯さーん、お待たせしましたー!」とお声がけいただき、御朱印帳を戻していただきました。御朱印は摂社や境内社のはなく、1種類のみでした(優柔不断な私には好都合)

意富比神社(千葉県)

お書き入れで拝受しました。

意富比神社(千葉県)

一の鳥居

意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)

神門

意富比神社(千葉県)

常磐神社・鳥居

意富比神社(千葉県)

常磐神社

意富比神社(千葉県)

大鳥神社

意富比神社(千葉県)

豊受姫神社(外宮)

意富比神社(千葉県)

慰霊碑と、その奥に灯明台

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ぱん吉🍀
ぱん吉🍀
2023年12月04日(月) 21時56分52秒
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京成🚃千葉神社巡り③船橋『意富比神社(船橋大神宮)』
明日~12月5日は酉の市 「お酉様」✨行ってみたかった (´- `*)

景行天皇40年(西暦110年)創始!すごい歴史です✴
境内は厳粛な雰囲気で、ちょっと緊張しながらの参拝。

摂社常磐神社の社殿はとても美しく、高台にある灯明台も素晴らしい様子♪
境内社も沢山あり、たいへん立派な神社でしたヽ(*´∇`)ノ

この後、船橋東照宮に向かいました!

意富比神社(千葉県)

駅から徒歩5分の高台😊

意富比神社(千葉県)

12月 5日が壱の酉✨17日が弐の酉✨

意富比神社(千葉県)

個人的には摂社の常磐神社に引き寄せられました〜
家康公とご縁が深く、彩色漆塗り美しい社殿✨

意富比神社(千葉県)

西一之鳥居から入ったみたいです。
階段を上がり二之鳥居を抜けて境内ヘ

意富比神社(千葉県)

船玉神社
船をデザインした面白い社殿

意富比神社(千葉県)

広い

意富比神社(千葉県)

神輿殿ですが…
八剱神社・八坂神社

意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)

モミジが素敵な手水舎でした

意富比神社(千葉県)

一般の参拝客は神門でお参り😖
御祈祷の方だけ中へ入れます

意富比神社(千葉県)

御朱印も書いていただきました😊

意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)
意富比神社(千葉県)

常磐神社

意富比神社(千葉県)

神門も社殿も美しい🥰
と思ったら東照宮と関係が!

意富比神社(千葉県)

中には入れないので覗きました、、
とても素敵!

意富比神社(千葉県)

横から大神宮の本殿が見えました

意富比神社(千葉県)

大鳥神社

意富比神社(千葉県)

奥の更に高台には灯明台

意富比神社(千葉県)
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歴史

古代
 景行天皇四十年(110年)、皇子日本武尊が東国御平定の途次、海上の一艘の舟の中に神鏡を発見。その頃旱天に苦しんでいた住民を救う為、又東国御平定の成就を祈願する為その神鏡をお祀りされたところ、ご神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
同じく五十三年、天皇御自身が御東行された折、武尊のご功績をご追憾なされ「意富比神社」の称号を賜りました。この名称が現在でも当宮の正式な名称となっております。
 はじめに日本武尊が神鏡を奉斎された場所は現在の神社より西に位置する湊郷海神あたりでした。後に現在の地に遷座されたと伝えられています。
平安
 史書の中で初見されるのは「日本三代実録」であります。それによると貞観五年(863)下総国従五位下意富比神に正五位下を授く」とあり、その後昇叙され「同十六年三月十四日に従四位下に昇せた」との記録が見られます。県内でも四位の社格を授かった社は数少なかったということですが、延長五年(927)に編纂が完成した「延喜式」の神名帳にも「意富比神社」と記され、その式内社としての歴史を知ることができます。
 天喜年間(1053〜58)には源頼義、義家親子が社殿を修造、その後仁平年間(1151〜54)には船橋六郷の地にご寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じ当宮の再建に携わりました。その文書には「船橋伊勢大神宮」と記載があり、当時から朝廷や武家からの崇敬が篤かったことが窺えます。
鎌倉
 日蓮上人が宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸
 江戸開府の頃より徳川家康公の崇敬が篤く、度々参詣され、当宮に社領を寄進、本殿、末社等を造営し、以来江戸時代を通して代々の将軍家より、五十石収穫相当の社領の寄進が幕末まで続きました。
明治
 慶応四年(1868)から勃発した戊辰戦争下では、旧幕府軍の拠点の一つとなり激戦の中、本殿・拝殿・摂末社にいたるまで全焼。その後明治六年(1873)に本殿が造営されたのに始まり明治二十一年頃までに本殿拝殿が竣工。
 明治天皇陛下には習志野、三里塚へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料をご奉奠あそばされました。
 それ以降は、大正十二年、昭和三十八年、同五十年、六十年に摂末社、鳥居、玉垣、参道に至るまで随時造営が成され、平成二十二年にはご鎮座1900年をむかえ、その記念事業として玉垣改修や境内整備、また神社所蔵の社宝展の開催などを行いました。
近代
 現在の主境内地の面積は約四千七百坪(約一万五千五百平方メードル)になります。

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意富比神社の基本情報

住所

千葉県船橋市宮本5-2-1

行き方

・京成本線大神宮下駅 徒歩3分
・総武線船橋駅南口 徒歩15分

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名称

意富比神社

読み方

おおひじんじゃ

通称

船橋大神宮

参拝時間

社務所:9:00~16:00 
電話受付 : 9:00~17:00

トイレ土俵のそば
御朱印あり

右に下総國船橋郷と書かれ、真ん中に延喜式内意富比田井神宮下総船橋の印が入った御朱印です。
御朱印帳の表面には景観重要建造物である灯明台が、裏面には広重(二代)が描いた意富比神社の浮世絵がデザインされています。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号047-424-2333
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.oohijinja.jp/
おみくじ

あり

詳細情報

ご祭神《主》天照坐皇大御神,《配》万幡豊秋津姫命,天手力雄命
創建時代

景行天皇四十年(110)

ご由緒

古代
 景行天皇四十年(110年)、皇子日本武尊が東国御平定の途次、海上の一艘の舟の中に神鏡を発見。その頃旱天に苦しんでいた住民を救う為、又東国御平定の成就を祈願する為その神鏡をお祀りされたところ、ご神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
同じく五十三年、天皇御自身が御東行された折、武尊のご功績をご追憾なされ「意富比神社」の称号を賜りました。この名称が現在でも当宮の正式な名称となっております。
 はじめに日本武尊が神鏡を奉斎された場所は現在の神社より西に位置する湊郷海神あたりでした。後に現在の地に遷座されたと伝えられています。
平安
 史書の中で初見されるのは「日本三代実録」であります。それによると貞観五年(863)下総国従五位下意富比神に正五位下を授く」とあり、その後昇叙され「同十六年三月十四日に従四位下に昇せた」との記録が見られます。県内でも四位の社格を授かった社は数少なかったということですが、延長五年(927)に編纂が完成した「延喜式」の神名帳にも「意富比神社」と記され、その式内社としての歴史を知ることができます。
 天喜年間(1053〜58)には源頼義、義家親子が社殿を修造、その後仁平年間(1151〜54)には船橋六郷の地にご寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じ当宮の再建に携わりました。その文書には「船橋伊勢大神宮」と記載があり、当時から朝廷や武家からの崇敬が篤かったことが窺えます。
鎌倉
 日蓮上人が宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸
 江戸開府の頃より徳川家康公の崇敬が篤く、度々参詣され、当宮に社領を寄進、本殿、末社等を造営し、以来江戸時代を通して代々の将軍家より、五十石収穫相当の社領の寄進が幕末まで続きました。
明治
 慶応四年(1868)から勃発した戊辰戦争下では、旧幕府軍の拠点の一つとなり激戦の中、本殿・拝殿・摂末社にいたるまで全焼。その後明治六年(1873)に本殿が造営されたのに始まり明治二十一年頃までに本殿拝殿が竣工。
 明治天皇陛下には習志野、三里塚へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料をご奉奠あそばされました。
 それ以降は、大正十二年、昭和三十八年、同五十年、六十年に摂末社、鳥居、玉垣、参道に至るまで随時造営が成され、平成二十二年にはご鎮座1900年をむかえ、その記念事業として玉垣改修や境内整備、また神社所蔵の社宝展の開催などを行いました。
近代
 現在の主境内地の面積は約四千七百坪(約一万五千五百平方メードル)になります。

体験七五三
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