せんようじ(ちばでら)|真言宗豊山派|海上山
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【千葉寺の縁起】・・境内掲示より
・市内最古の寺院で奈良時代の和銅2年(709年)の創建と伝えられ、発掘調査の結果、奈良時代末期には四間✕四間の瓦葺きの金堂が存在したことが確認された。
境内の仁王門と鐘楼堂は、文政11年(1828年)に建立されたものである。
遺物には、奈良時代の布目瓦、平安時代の経筒、鎌倉時代の常滑焼骨壷、室町時代の青銅製の梅竹透釣灯籠(国指定文化財)、桃山時代の五輪石塔など貴重なものがたくさんあります。
山 号・・海上山
宗 派・・真言宗豊山派
ご本尊・・十一面観世音菩薩
創 建・・(伝)和銅2年(709年)
開 基・・(伝)行基
正式名・・海上山 千葉寺
札 所 ○坂東三十三観音(29番)
○関東八十八箇所(47番)
仁王門
彫刻が凄いですね
下から見た龍の彫刻
(龍がこちらへ睨みを利かせて今にも飛び出してきそうな迫力があります)
仁王像(吽形)
仁王像(阿形)
参道途中の大銀杏(御神木)
鐘楼堂
大師堂
大師堂
千葉寺の本堂
千葉寺の本堂
千葉寺の本堂
小太子堂
千葉寺の本坊
(ここで御朱印対応)
インターホーンを押すと対応して頂けます。
千葉寺の案内図
坂東三十三観音(29番)の御朱印
関東八十八カ所霊場(47番)の御朱印
歴史
寺伝によれば、709年(和銅2年)、この地を訪れた東国巡錫中の行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。1160年(永暦元年)に堂宇を焼失している。千葉氏の居城である亥鼻城(千葉城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。境内には千葉氏5守護神の一つである千葉寺の龍権(千学集抄より)、瀧蔵神社(りゅうぞうじんじゃ)がある。御祭神は海津見神。
1950年代の発掘調査で、旧寺の境内は約126メートル四方だったと推定され、奈良時代の瓦が出土していることから、永暦年間以前にはここに大伽藍があったと考えられる。山門は1841年(天保12年)に再建。観音堂は1828年(文政11年)に再建したが、第二次世界大戦で空襲で焼失、1976年(昭和51年)に再建された。
名称 | 千葉寺 |
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読み方 | せんようじ(ちばでら) |
御朱印 | あり 坂東三十三観音の二十九番と関東八十八ヵ所霊場の第四十七番の、2種類の御朱印がいただけます。 |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 043-261-3723 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
関東八十八箇所 第47番 | 御本尊:十一面観世音菩薩 御真言: おんまかきゃろにきゃそわか 御詠歌: 千葉寺へ 詣る吾が身も 頼もしや 岸打つ波に 船ぞ浮かぶる |
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坂東三十三観音 |
詳細情報
ご本尊 | 十一面観世音 |
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山号 | 海上山 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 709年(和銅2年) |
文化財 | ○千葉寺のおおいちょう
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ご由緒 | 寺伝によれば、709年(和銅2年)、この地を訪れた東国巡錫中の行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。1160年(永暦元年)に堂宇を焼失している。千葉氏の居城である亥鼻城(千葉城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。境内には千葉氏5守護神の一つである千葉寺の龍権(千学集抄より)、瀧蔵神社(りゅうぞうじんじゃ)がある。御祭神は海津見神。 1950年代の発掘調査で、旧寺の境内は約126メートル四方だったと推定され、奈良時代の瓦が出土していることから、永暦年間以前にはここに大伽藍があったと考えられる。山門は1841年(天保12年)に再建。観音堂は1828年(文政11年)に再建したが、第二次世界大戦で空襲で焼失、1976年(昭和51年)に再建された。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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