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御朱印について
御朱印
あり

妙見本宮千葉神社の御朱印と摂社千葉天神の御朱印、1月1日から2月3日までいただける初詣の限定御朱印があります。
御朱印帳は表面に天の川が描かれたデザイン。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

千葉神社について

願いごとが叶う御神水がテイクアウト自由!


一口いただけば良いことが起こると古くからいわれている霊泉「妙見延寿の井」の御神水が自由に汲めます。ただしマナーを守って1人2リットルまでにしましょう。JR千葉駅から徒歩10分と便利なのも嬉しいですね。

すべての星を司る王


天の中心である北極星の神様が御祭神。日天楼で陽気と活力、月天楼で浄化と長寿の御利益も授かれます。オールマイティーに厄除開運の効果があるので、決断や勝負事がある時に訪れたいところです。

触れれば縁結びになる御力石


男女の星を巡り合わせ、結びつける御利益もあるこちらの千葉神社には、触れると縁結びのパワーをいただける北辰石・三光石・四儒拾五縁石の3つの石もありますよ。

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惣一郎
2021年05月28日(金)
962投稿

千葉神社は、千葉県千葉市中央区にある神社。旧社格は県社。別称は「妙見本宮」で、北辰妙見尊星王の本宮の意。

創建は平安時代中期、千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(妙見菩薩)を本尊とする寺院「千葉妙見宮」として建立、千葉氏の祖平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備された。源頼朝も千葉常胤の案内で当寺を参拝し保護された。
1591年に徳川家康が当寺を参拝して寺領安堵と太刀一振り寄進したとされ、同時に朱印地200石と十万石の格式が与えられた。
江戸時代には北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治の神仏分離令によって神社になり、本尊を祭神に改めた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は神仏習合により同一視されて来たため、今日でも当社が日本有数の「妙見信仰」の中心であることには変わりがない。

当社は、JR総武本線・千葉駅の東1kmの大通りに面した繁華街にある。南側には通町公園が境内入口と同化している。また、北側には千葉市有数の歓楽街・栄町がある。

旧社格が<県社>ということで参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、人気の神社のようで家族連れや女性数人組などの参拝者が来ていた。

千葉神社(千葉県)

南側の通町公園から見た、境内入口にある楼門型の<尊星殿(そんじょうでん)>。両サイドに天楼(櫓)が配置された珍しい複合建造物になっている。1998年竣工。

千葉神社の建物その他

尊星殿の下には、柱状の<福徳殿>があり、御祭神である北辰妙見尊星王の御分霊を奉斎している。陰陽道や九星気学・風水学と深いかかわりのある御神徳により、方位方角・五行・十二支・人体各部の役割を八角形に配された八つの各星宮が個々に担い守護しているとされる。

千葉神社の本殿

社殿全景。大きくて立派な<重層社殿>。扁額には<妙見>の文字。

千葉神社の手水

尊星殿から社殿に向かう途中の左手にある<手水舎>。

千葉神社の本殿

拝殿正面。

千葉神社の建物その他

拝殿の右手にある<授与所>。御朱印はこちら。

千葉神社の鳥居

尊星殿まで戻って、左手にある<境内社の杜>入口。

千葉神社の狛犬

杜の入口の狛犬。割と古そうで、江戸時代モノか。

千葉神社の建物その他

<神池>に架かる<神橋>。

千葉神社の末社

境内南西端にある境内社。左から<御嶽さま>、<神明さま>、<三峯さま>、<日枝さま>。

千葉神社の末社

左から<天神さま>、<八幡さま>。

千葉神社の末社

左から<えびす様>、<金ぴら様>、<稲荷さま>、<石神さま>、<星神さま>、<姥神さま>。

千葉神社の建物その他

6境内社の前にある、福授の<亀岩>。

千葉神社(千葉県)

屋根付きの<常香炉>。

千葉神社の本殿

境内西北部にある<千葉天神>。社殿は<千葉神社>の旧社殿。

千葉神社の建物その他

拝殿右脇の<御力石>。

千葉神社の末社

常香炉の裏手にある<美寿(みず)の宮>。

千葉神社の本殿

最後に、<千葉天神>の拝殿全景。

千葉神社の本殿

最後に、<千葉神社>の拝殿全景。

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歴史

平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文(たいらのよしぶみ)は、戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき、常に大勝利を収めておりました。この良文公を祖とする千葉氏は、一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、代々熱烈な信仰を捧げてまいりました。
千葉氏の三代目である平忠常(たいらのただつね)の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社の境内:香取山(かんどりやま)の一画に、千葉氏によって妙見様の御分霊(=分身)をお祀りする祠が建てられました。(年代不詳)
この祠に、眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と「北斗山金剛授寺」という寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。
忠常公は、賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男・覚算(かくさん)を大僧正に就け、長保2年(西暦1000年)旧暦9月13日、「北斗山金剛授寺」を中興開山しました。
千葉氏はその後、関東南部における勢力範囲を徐々に拡大し、千葉氏の七代目・常重(つねしげ)の頃になると関東地方の有力な豪族へと発展します。当時、一族の本拠地であった大椎城(現:若葉区大椎)が手狭になったことを契機とし、陸運・海運の要衝であった千葉の街へと移転することとなりました。
大治元年(1126年)、千葉の街の中にあって攻め難く守り易い亥鼻山に亥鼻城(現:中央区亥鼻)を構え、恒久的な本拠地整備へと進みます。この移転に伴い、それまで惣領の住む城内でお祀りされていた妙見様の御本霊(=御神体)を北斗山金剛授寺にお遷しし、以前からお祀りされていた御分霊と合祀してお祀りすることとなりました。
御本霊の遷座の翌年である大治2年(1127年)、妙見様の御分霊をお神輿に乗せて亥鼻城の麓に向かう「妙見大祭」が始まり、それ以来一度も休むことなく現代に続いています。
千葉氏とも縁の深い源頼朝は当社に参詣し、自筆の願文・太刀・武具などを奉納して平家打倒を願い、ついに武運を開くに至りました。また日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した際、有難い奇瑞をいただき「この妙見尊こそ、わが宗門の守護神である」と讃嘆され、誓願成就の後に自筆の細字法華経を奉納されました。
徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として永代二百石を寄進するとともに、将軍との謁見が許される格式(十万石の大名と同等)を賜り、以後代々の徳川将軍家より神領・特権を許されました。江戸時代には「千葉の妙見寺」「尊光院」などの通称でも呼ばれるようになりました。
幕末を経た明治2年(1869)、明治政府が発した「神仏分離令」により、当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、数百年続く祭礼を継承すべく「千葉神社」と改称して神社となり、今日に至ります。
厄除開運・八方除の守護神である妙見様の本宮としてその御霊徳はいよいよ高く輝き、千葉の妙見様として四方八方にあまねく知られ全国の善男善女から深い尊崇を集めています。

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千葉神社の基本情報

住所千葉県千葉市中央区院内1-16-1
行き方
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名称千葉神社
読み方ちばじんじゃ
通称妙見様
御朱印あり

妙見本宮千葉神社の御朱印と摂社千葉天神の御朱印、1月1日から2月3日までいただける初詣の限定御朱印があります。
御朱印帳は表面に天の川が描かれたデザイン。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttp://www.chibajinja.com/index.html
おみくじあり
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》北辰妙見尊星王(天之御中主大神),《配》経津主神,日本武尊
ご由緒

平安時代末期、関東南部を広く統治した平良文(たいらのよしぶみ)は、戦のたびごとに妙見様に祈願してその御加護をいただき、常に大勝利を収めておりました。この良文公を祖とする千葉氏は、一族郎党の守護神として妙見様を各地にお祀りし、代々熱烈な信仰を捧げてまいりました。
千葉氏の三代目である平忠常(たいらのただつね)の頃、千葉の地にお祀りされていた香取神社の境内:香取山(かんどりやま)の一画に、千葉氏によって妙見様の御分霊(=分身)をお祀りする祠が建てられました。(年代不詳)
この祠に、眼の病気を患った第66代・一条天皇が眼病平癒の願を掛けたところ、即座に病が完治したことから、一条天皇は薄墨の御綸旨と「北斗山金剛授寺」という寺号を贈って感謝のお気持ちを示されました。
忠常公は、賜った貴い寺号に見合うようにと伽藍一切を整備し、自らの次男・覚算(かくさん)を大僧正に就け、長保2年(西暦1000年)旧暦9月13日、「北斗山金剛授寺」を中興開山しました。
千葉氏はその後、関東南部における勢力範囲を徐々に拡大し、千葉氏の七代目・常重(つねしげ)の頃になると関東地方の有力な豪族へと発展します。当時、一族の本拠地であった大椎城(現:若葉区大椎)が手狭になったことを契機とし、陸運・海運の要衝であった千葉の街へと移転することとなりました。
大治元年(1126年)、千葉の街の中にあって攻め難く守り易い亥鼻山に亥鼻城(現:中央区亥鼻)を構え、恒久的な本拠地整備へと進みます。この移転に伴い、それまで惣領の住む城内でお祀りされていた妙見様の御本霊(=御神体)を北斗山金剛授寺にお遷しし、以前からお祀りされていた御分霊と合祀してお祀りすることとなりました。
御本霊の遷座の翌年である大治2年(1127年)、妙見様の御分霊をお神輿に乗せて亥鼻城の麓に向かう「妙見大祭」が始まり、それ以来一度も休むことなく現代に続いています。
千葉氏とも縁の深い源頼朝は当社に参詣し、自筆の願文・太刀・武具などを奉納して平家打倒を願い、ついに武運を開くに至りました。また日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した際、有難い奇瑞をいただき「この妙見尊こそ、わが宗門の守護神である」と讃嘆され、誓願成就の後に自筆の細字法華経を奉納されました。
徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として永代二百石を寄進するとともに、将軍との謁見が許される格式(十万石の大名と同等)を賜り、以後代々の徳川将軍家より神領・特権を許されました。江戸時代には「千葉の妙見寺」「尊光院」などの通称でも呼ばれるようになりました。
幕末を経た明治2年(1869)、明治政府が発した「神仏分離令」により、当時曖昧であった神社と寺院の区分を明確に区別することとなりました。僧侶・総代・氏子らの協議の末、妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから、数百年続く祭礼を継承すべく「千葉神社」と改称して神社となり、今日に至ります。
厄除開運・八方除の守護神である妙見様の本宮としてその御霊徳はいよいよ高く輝き、千葉の妙見様として四方八方にあまねく知られ全国の善男善女から深い尊崇を集めています。

体験結婚式御朱印祭り

Wikipediaからの引用

概要
千葉神社(ちばじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社。旧社格は県社。神紋は三光紋(月星)、社紋は九曜紋。別称は北辰妙見尊星王の本宮を意味する「妙見本宮(みょうけんほんぐう)」。
行事
祭事[編集] 智の輪くぐり神事の智の輪 1月1日 - 3日 初詣 1月3日 はしご乗り 1月中成人の日を含む土日および翌週土日 通りぬけ神事(千葉天神三大神事) 1月25日 - 2月3日 うそ替え神事(千葉天神三大神事) 1月10日、5月10日、9月10日 金刀比羅宮ならびに西之宮例祭 2月3日 節分祭 3月25日 - 4月中旬 智の輪くぐり神事(千葉天神三大神事) 5月25日 神恩祭 6月30日 夏越大祓式 7月7日 七夕祭 8月16日 - 22日 妙見大祭(例祭) 11月中酉の日 お酉さま 12月28日 納めの妙見 12月31日 年越大祓式 妙見大祭[編集] 例祭として妙見大祭が...Wikipediaで続きを読む
引用元情報千葉神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8D%83%E8%91%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90007276

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