あわじんじゃ
安房神社のお参りの記録一覧
天照大御神のお側近くにお仕えになられた神様で、中臣氏と共に朝廷の祭祀(お祭り)を司った斎部氏(忌部氏)の祖神に当たられます。
天照大御神が弟神・スサノオノミコトのあまりにも乱暴な振る舞いにお怒りになり、天の岩屋にお籠もりになられてしまった時には、中臣氏の祖神・天児屋命(アメノコヤネノミコト)と共に力をあわせて、大御神の御出現を願うためのお祭りを行なわれます。又、御自身の率いる忌部の神々を指揮され、このお祭りを行なうために必要不可欠な鏡や玉、神に捧げる幣帛や織物、威儀物としての矛や楯といった武具、社殿の造営などを司られており、こうしたことから、日本における全ての産業の総祖神として崇敬されております。
房總三國神社御朱印めぐり、館山の安房國一之宮安房神社を参拝しました。
朝イチの参拝、到着した時はまだ社務所はあいていませんでした。拝殿に向かうと、朝の御祈祷の声が聞こえてきました。何となく邪魔にならないよう、いつも以上にそっとお賽銭を入れ、拍手も自然と小さめに。
撮影したりしていたら、社務所が開きましたので御朱印をいただきました。房總三國と全国一の宮の御朱印帳にお書き入れいただきました。
2年前はコロナ禍で書き置きでしたのでお書き入れ再開されていて嬉しかったです。2年前は中央に墨書で「安房神社」と書かれていましたが、朱印だけのスタイルに変更されたようです。
お書き入れで拝受しました。
一の鳥居
二の鳥居までの参道は桜並木になっていました。
安房国一宮の1つ安房神社に。前回ひらいてなかった茶房で抹茶もいただけ、ゆっくりさせていただけました。
白い鳥居
御神木 大銀杏
厳島社
土日祝日のみあいている境内の茶房
季節の花のお菓子と抹茶
房総三國神社御朱印めぐり、安房國、安房神社、(館山市)です。
今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。
その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。 この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。
延喜式』の「神名帳」に記載された式内社(しきないしゃ)となり、その中でも特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)として、国家から手厚い祭祀を受けておりました。またこの時代には、「安房国一之宮」としても、広く一般庶民からの崇敬も集めています。
2023.6. 10「古代の天皇と祭祀を上総國と安房國で知る旅」に参加した時の記録です。
最後は安房國一之宮安房神社になります。
正式参拝をさせていただき、その後神職様の説明を受けながら一緒に境内をまわりました。
忌部氏の話はもちろんのこと、栃木県小山市にある安房神社との関係や、御神木がなぜ「槇」の木なのか、鳥居がなぜ白色なのか…などなど、沢山の貴重なお話を聞くことができました。また、過疎化が進みご苦労なされているお話も聞きました。
神社も神職様も雰囲気がよくとても素敵なところでした。
御祭神である天太玉命さまは日本における全ての産業の総祖神であり、この時はちょうど新しい仕事を始めたタイミングとも重なったので、ご利益にあやかり仕事守りのお守りを拝受しました。
新春房総神社巡り③今回メインの目的地の神社。流石に三が日が過ぎても参拝者は多い。海岸線の道は南国ムード漂わせヤシの木の街路樹を眺めながら、ここが本当に関東かと疑問にさえ感じます。社務所も多くの参拝者がいましたが、手際よく対応。御朱印は書き置き対応の為スムーズに参拝を終える事が出来ました。と思っていたら、下の宮へ参拝し忘れました。何ということだ!しっかりした調べをしていたのに…
社号標
一の鳥居
常夜灯
参道
二の鳥居
灯籠
手水舎
拝殿
扁額
本殿
境内社 琴平社
兼務社遥拝所
御神水
御仮屋
犬石神社
洲宮神社
布良崎神社
相濱神社
熊野神社
八坂神社
日吉神社
下立松原神社
白浜神社
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