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すのさきじんじゃ

洲崎神社のお参りの記録一覧
千葉県 館山駅

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惣一郎
惣一郎
2021年05月05日(水)1269投稿

洲崎神社(すさき~/すのさき~)は、千葉県館山市にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一之宮とされた。旧社格は県社。御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)で、安房神社の主祭神・天太玉命の后神。元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。

社伝によれば、神武天皇の治世、天富命が(あめのとみ)祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
平安時代以降、「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、927年の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格。1081年には「安房国 天比理刀咩神」は神階が最高位の正一位に達した。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路安房国に逃れたが、1180年に帰還を祈願し神田を寄進。翌々年には妻政子の安産祈願に奉幣使を派遣した(『吾妻鏡』の記載)。
江戸時代に入り、洲崎神社は式内社「天比理乃咩命神社」と主張したが、もう一社「洲宮神社」も譲らず、どちらが式内社であるか争うようになった。洲崎神社は、江戸後期に房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が、当社に「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したことをもって主張の根拠とした。
明治時代に入り、1872年政府・教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌年当決定を覆し洲崎神社を式内社とした。また同時に近代社格制度で県社に列した。なお、戦前の1940年頃まで、当社のある房総沖は交通の要衝で、沖を通る船に奉賽を納めさせる風習があったとのこと。

当社は、JR内房線・館山駅の南西12kmにあって、公共交通機関だとバス25分、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南西に道のり18km。房総半島南端の東京湾に突き出した部分にあって、一之鳥居は海のそば、社殿は海が見渡せる小山の上にある。境内は狭く、社殿も小さくて、現在の雰囲気は<村の鎮守>クラス。兼務社になっていて、通常時は神職の方はいない。

参拝時は週末の午前中で、天気が良かったこともあり、参拝者はぱらぱらと断続的にやって来ていた。非常にラッキーなことに、神職の方がたまたま来ていて、御朱印を直筆で拝受することができた。

洲崎神社の鳥居

境内入口の<二の鳥居>。すでにここから境内全景が見える。階段が恐ろしい...汗

洲崎神社の手水舎

まずは参道左手にある<手水舎>。左奥は<社務所>。右奥は<随神門>。

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