すのさきじんじゃ
洲崎神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
安房神社の後に洲崎神社にお詣りさせていただきました。
安房神社から左手に東京湾を見ながらドライブ気分で行きました。
御朱印を拝受しましたが、迫力ある字体で感動しました。
鳥居からの楼門です
石碑です
手水舎です
本殿に向かう楼門です
本殿です
眼下に広がる東京湾です
洲崎神社(すさき~/すのさき~)は、千葉県館山市にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一之宮とされた。旧社格は県社。御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)で、安房神社の主祭神・天太玉命の后神。元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。
社伝によれば、神武天皇の治世、天富命が(あめのとみ)祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
平安時代以降、「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、927年の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格。1081年には「安房国 天比理刀咩神」は神階が最高位の正一位に達した。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路安房国に逃れたが、1180年に帰還を祈願し神田を寄進。翌々年には妻政子の安産祈願に奉幣使を派遣した(『吾妻鏡』の記載)。
江戸時代に入り、洲崎神社は式内社「天比理乃咩命神社」と主張したが、もう一社「洲宮神社」も譲らず、どちらが式内社であるか争うようになった。洲崎神社は、江戸後期に房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が、当社に「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したことをもって主張の根拠とした。
明治時代に入り、1872年政府・教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌年当決定を覆し洲崎神社を式内社とした。また同時に近代社格制度で県社に列した。なお、戦前の1940年頃まで、当社のある房総沖は交通の要衝で、沖を通る船に奉賽を納めさせる風習があったとのこと。
当社は、JR内房線・館山駅の南西12kmにあって、公共交通機関だとバス25分、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南西に道のり18km。房総半島南端の東京湾に突き出した部分にあって、一之鳥居は海のそば、社殿は海が見渡せる小山の上にある。境内は狭く、社殿も小さくて、現在の雰囲気は<村の鎮守>クラス。兼務社になっていて、通常時は神職の方はいない。
参拝時は週末の午前中で、天気が良かったこともあり、参拝者はぱらぱらと断続的にやって来ていた。非常にラッキーなことに、神職の方がたまたま来ていて、御朱印を直筆で拝受することができた。
境内入口の<二の鳥居>。すでにここから境内全景が見える。階段が恐ろしい...汗
まずは参道左手にある<手水舎>。左奥は<社務所>。右奥は<随神門>。
階段を少し上がって<随神門>。
綺麗に一直線に上がって行く参道の階段。神域に繋がってる感が満点。公式名称は「厄払坂」。
階段を登り切ったご褒美がこちら。海が綺麗に見える。
階段上って正面にある<社殿>。<一之宮>といっても大きくはない中庸サイズ。
<拝殿>正面。扁額には<安房国一宮 洲崎大明神>の文字。
社殿右手にある摂末社。
右上にあるのが<長宮>。豊玉彦命(海の神)、大山津見命(山の神)、建速須佐之男命(厄除・開発の神)、大物主命(農工商・医薬の神)の4神を祀る。
左上にあるのが<金比羅神社>。金毘羅大神(漁業・航海・医薬の神)を祀る。
長宮から見た<本殿>。少し高い位置にある。
境内左手にある<稲荷神社>。宇迦之御魂命(商売繁盛・五穀豊穣の神)を祀る。
稲荷神社の脇道を進むと、、、(海風で植物が全て左上方向に伸びている。笑)
海を望む展望台のような場所に鳥居が立っている。
この日はうす曇りで海しか見えないが、天気が良ければ<富士山>や<三浦半島>が見えるはず。
ここのあるのが<源頼朝公 笠掛けの松>。海路安房に逃げ込んだ源頼朝が訪れ、傍らの松に笠を掛け、遠く鎌倉を望んだという。実際、当地にはこの話から笠掛(かさげ)という集落があるとのこと。本当っぽい。
山を下り、房総フラワーライン(県道257号線)を渡って、海に近い<一の鳥居>を見に行く。
100mほど進むと<一の鳥居>がある。その奥の海辺にも何かがありそう。
海辺は岩場になっている。展望解説図によると、右から富士山、天城、大島、利島が見えるらしい。
岩場の際にある<洲崎神社御神岩>とその鳥居。周りは芝生になっていて、ちょっとした公園のよう。やはり海風がとにかく強い。
境内入口まで戻って、目立つビビッドな<社務所>。御朱印はこちら。
ここで嬉しいハプニングが。通常当社には宮司さんは不在とのことだが、この日たまたま集まりがあったようで、激レア御朱印を直書きで拝受!
近くに居ながら、1度も参拝した事の無い神社でした。
境内からの景色は素晴らしいと聞いてはいましたが。
こちらも普段は宮司さんがいらっしゃらないようで。
私は運良く直接御朱印をいただけました。
霊峰富士が見渡せる場所があります。
初めての洲崎神社。
拝殿までの石段が…
登らないと参拝出来ないので、行くしかない!
霊峰富士が見渡せる場所。
運良く、直接御朱印をいただけました。
安房神社と抱き合わせで行きました!
房総フラワーラインの脇にある安房の一ノ宮神社。
敷地には桜が咲いており春の訪れを感じました。
また、富士見の鳥居からうっすらですが富士山を望めました!
こちらの神社も台風の影響を受けており社務所と敷地内にはブルーシートが…。
今回、房総に訪れましたが民家の屋根の損壊がひどく至るところで屋根のブルーシートを目にしました。
早く房総に住む方の住宅が修理され、通常の生活に戻れる事をお祈りして参りました。
駐車場あります。
ダイナミックな字でかかれた御朱印。宮司さんは近隣10社の神社を管理しているそうで多忙で書き置きメインだそうです。
台風の影響をうけていました。
階段から望む海。素敵な景色です♫
本殿の脇にる富士見の鳥居。うっすらですが富士山拝めました^_^
富士見の鳥居からの富士山♫
歴史を感じさせる本殿。こちらは台風の影響はなかったようで安心しました。
入り口の門にある桜とウグイス。ウグイスがすばしっこくて逆さになってしまいました。
正面の鳥居。狛犬がいない神社でした。
社務所も台風の影響を受けてました。
安房国式内社めぐりにて一宮とされる洲崎神社へ。見た目で階段が長い! と思いきやくだりは意外と早く着いた印象。隣はお寺でそちらからも上り下り可能。
上りがあいのある階段。下から
上から
本殿
拝殿に向かって右側に金比羅神社
拝殿向かって右側
拝殿向かって左側に稲荷神社
訪れたのは8月20日。子供が踊りの練習をしていました。
全国一宮巡拝で訪れました。
安房神社から館山フラワーラインを走りながら海沿いの道の途中に見えます。
ブログにも感想を投稿しましたのでご覧ください。
鳥居
境内案内
近くにお寺があるので、明治まではお寺の管理下にあったかもしれませんね。
社標
手水舎
奥に社務所があります。
由緒書き
1枚目を見てわかる通り、階段がすごい急です。
振り返れば絶景
下見たら怖いです。
あと下の門に御朱印の書き置きがあります。
社殿
扁額
こちらはレプリカですが、松平定信が奉納したオリジナルが保管されています。
末社・稲荷社
友人の黒い寅さん
房総半島御朱印サイクリング。
安房神社から房総半島の海岸線に沿って
自転車を走らせること10kmあまり。
近くには有名な洲崎灯台もあります。
ただし公共交通機関でのアクセスは少し困難です。
随神門から拝殿へは心臓破りの階段がありますが、
上りきって振り返ると海を眺められます。
洲崎神社は安房国一之宮ではあるのですが、
宮司さんが常駐しているわけではない兼務社です。
そのため御朱印を書いてもらえるかどうかは運しだい。
宮司さんがご不在の場合は書置きをいただけます。
御朱印。社務所を訪ねた際には宮司さんが不在であきらめかけたのですが、帰り際にちょうど戻っていらっしゃって御朱印をいただけました。
二の鳥居。一の鳥居はさらに海側に立っている。
随神門
随神門から拝殿へと続く階段。しんどいです。
階段脇には親切に杖が置かれており、自由に使えます。
階段はつらいですが上りきると絶景というご褒美が待っています。
拝殿
霊峰富士遥拝所。このときは富士山は残念ながら拝めませんでした…
幸せの鐘
御神石。一の鳥居をくぐって海岸のそばに鎮座しています。
館山に仕事でおとずれ、食べログで高得点の「地魚料理さがわ」の店に所狭しと貼られていたポスターを拝見して伺いました。
例大祭は8月。
お神輿がこの階段を降りてきます。
手すりは外されて。
まさに命がけ。
毎年の神々のご加護に感服です。
黙々と148段をあがる。
階段の途中で振り返る
どっしりとしたお社がずらり。
落ち着いたご神気です。
落ち着いたご神気です。
悠々と。
堂々と。
頂上は富士山が見えるはず。
帰ります。
ありがとうございました。
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