せいとくじ|曹洞宗|天神山
清徳寺
秋田県 二ツ井駅
御朱印 | |||
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駐車場 | 門前に1台停められる。 |
戊辰戦争の肥州藩八勇士の墓をお参りしてきました。
"戊辰役肥州八勇士之墓有り"の石碑
小笠原洋々の句碑(摩滅して読めません)
"天の河はるかに風をおとし来る"
肥州藩八勇士の墓の案内板
戊辰戦争の説明
戦没者の供養塔と墓
清徳寺のイチョウ
清徳寺のケヤキ
清徳寺は、もとは真言宗で太平山長谷寺と称して荷上場にありましたが、佐竹候が秋田へ遷封された後、佐竹候の菩提寺である天徳寺の末寺として曹洞宗に改宗、天徳の二字を分けて天神山清徳寺と称しました。天徳寺11代検外観察大和尚を開山とし、梅津政景公を開基としたものです。その後数度の水禍を受けて比井野に移り、明和4年(1767)小沢山下へ、安永元年(1772)の火災のあと、山根へ移りました。天明6年(1786)、昼火事の災難に遇い再び比井野の現在地に復したといわれる。
名称 | 清徳寺 |
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読み方 | せいとくじ |
電話番号 | 0185-73-2450 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
山号 | 天神山 |
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宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
開山・開基 | 開山(天徳寺11代検外観察大和尚)・開基(梅津政景) |
ご由緒 | 清徳寺は、もとは真言宗で太平山長谷寺と称して荷上場にありましたが、佐竹候が秋田へ遷封された後、佐竹候の菩提寺である天徳寺の末寺として曹洞宗に改宗、天徳の二字を分けて天神山清徳寺と称しました。天徳寺11代検外観察大和尚を開山とし、梅津政景公を開基としたものです。その後数度の水禍を受けて比井野に移り、明和4年(1767)小沢山下へ、安永元年(1772)の火災のあと、山根へ移りました。天明6年(1786)、昼火事の災難に遇い再び比井野の現在地に復したといわれる。 |
体験 | 有名人のお墓 |
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