『ある秋の朝、槻ノ木村の一人の百姓が目を覚まし、小便に起きた。そして槻ノ木の方を見ると、まだ霧のおりているその大木の根かたにキラキラと光るものが置かれてある。いぶかりながら傍へ寄ってみると、それは一かさねの大きな鎧であった。驚いた百姓はそれを取り納め、以来鎧は槻ノ木村の神様として祀られるようになった。』
その昔、奥羽平泉の藤原泰衡が源頼朝に攻められ、平泉から比内のにえの棚に落ちてゆくが、そこで部下の河田次郎の裏切りにあって討たれてしまう。鎧はその泰衡のものとされている。
鎧神社は天保十二年に建立されたが、其の後文久元年現在地に移された。拝殿は建立以来百数十年を経ており、老朽化が著しかったため、薄井氏子一同は全面改築を検討、昭和六十二年二月二十四日完成する。
12
0