御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
鎧神社ではいただけません
広告
パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について
御朱印
なし
ありません

鎧神社について

藤原泰衡伝説の鎧


平泉の藤原4代目泰衡公が源頼朝の謀略により追討され、北方に逃れる際に鎧を脱いで置いていったといわれています。

おすすめの投稿

nijinsky1967
2020年02月26日(水)
13投稿

街の小さな神社です。二ツ井町槻ノ木138の田んぼの中にあるに『奥のお堂』も
お参りしてきました。

鎧神社の鳥居

白い鳥居

鎧神社の建物その他
鎧神社の本殿

拝殿

鎧神社の本殿
鎧神社の本殿

本殿

鎧神社の鳥居

境内からの鳥居の外の眺め

鎧神社の仏像

裏には色々な神さまがありました

鎧神社の狛犬

狛犬です

鎧神社の狛犬
鎧神社の周辺

奥のお堂が林の中にある

鎧神社の末社

奥のお堂の鳥居

鎧神社の末社
もっと読む
投稿をもっと見る(1件)

鎧神社の基本情報

住所秋田県能代市二ツ井町字家後62付近
行き方
アクセスを詳しく見る
名称鎧神社
読み方よろいじんじゃ
御朱印なし

詳細情報

ご祭神泉の冠者泰衡乃霊,豊受姫神
ご神体藤原泰衡の鎧
創建時代創建不詳
ご由緒

『ある秋の朝、槻ノ木村の一人の百姓が目を覚まし、小便に起きた。そして槻ノ木の方を見ると、まだ霧のおりているその大木の根かたにキラキラと光るものが置かれてある。いぶかりながら傍へ寄ってみると、それは一かさねの大きな鎧であった。驚いた百姓はそれを取り納め、以来鎧は槻ノ木村の神様として祀られるようになった。』
 その昔、奥羽平泉の藤原泰衡が源頼朝に攻められ、平泉から比内のにえの棚に落ちてゆくが、そこで部下の河田次郎の裏切りにあって討たれてしまう。鎧はその泰衡のものとされている。
 鎧神社は天保十二年に建立されたが、其の後文久元年現在地に移された。拝殿は建立以来百数十年を経ており、老朽化が著しかったため、薄井氏子一同は全面改築を検討、昭和六十二年二月二十四日完成する。

体験武将・サムライ伝説

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ