せいがんじ|曹洞宗|久昌山
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楽しみ方盛巌寺のお参りの記録一覧

三河三十三観音30番。西尾駅から徒歩15分程度。31番や三河新四国69〜72番も徒歩10分以内という、寺院の多いエリアです。
ご住職は、納経帳をご本尊に向けてお唱えをするという正式な方法で御朱印を押して下さいました。
西尾藩主大給松平家の菩提寺なので、お寺の歴史をお尋ねしました。
大給松平家は6名の老中を輩出し、江戸在住のまま国元には帰らず参勤交代も必要ない殿様が多く、墓所も江戸の菩提寺にある事が一般的でした。
ところが、14代乗全公は井伊直弼大老の下で老中を務め、安政の大獄を推進。桜田門外ノ変による大老暗殺後に隠居を余儀なくされ、西尾の地で死去したそうです。境内に乗全公の墓所があるのもそのためとのこと。
盛厳寺は大給松平家転封に伴い移転を繰り返しており、西尾移転は明和元年。
廃藩置県後は、西尾城内の廃寺の仏像等の移転先となったそうです。波切不動明王様もその一つ。両脇時の童子の造形も含めて大変見事な仏像ですが、移転作業の際の事故のためか指に欠損があるとのこと。
「ここは少し特殊なお寺と言えますね」とご住職。柔和で礼儀正しい方で、他にも色々お話を伺って大変勉強になりました。


松平乗全公と正室の墓所。同公より先に死去していた奥方のお墓は、江戸の菩提寺から移転されたそうです。


三河三十三観音霊場巡りの2寺目は、1寺目と同じく西尾市に在る第30番の久昌山 盛巌寺(せいがんじ)です。1寺目の実相寺から東へ約3km行った一方通行の細い路地に在ります。
曹洞宗で、本尊は聖観音菩薩、札所本尊も聖観音菩薩。
1590年に大給松平家6代の松平家乗が松平家の菩提寺として上野国(現群馬県)に創建。その後藩主のお国替えの度に何度も移転し、1764年に11代の松平乗佑が西尾藩へお国替えの際に現在地に移され今日に至っています。
山門前の通りには駐車場が見当たらず、山門の中に停めてある車がありましたので、それに倣って停めさせて頂きましたが、山門の幅が余りなく慎重に通りました。(帰宅後GoogleMapで見たら、境内の裏側の通りに10台位停めれる駐車場がありました。)
山門を眺めると何か違和感。一般的には棟側が正面ですが、この山門は妻側が正面なんです。雨樋が無いため雨降りの時に殿様が濡れない様にとの配慮だそうです。
山門をくぐると正面に本堂、右側に庫裏。本堂へ行きましたが戸に施錠されています。仕方無く庫裏の呼び鈴を押しました。ご住職の奥様?が出てこられたので、観音霊場の御朱印を頂きたい旨を話し、本堂の戸を開けて頂きました。(寺院の方が不在だと出直し?)
須弥壇の本尊·如意輪観音と左脇間の不動明王(浪切不動尊)に手を合わせました。
この浪切不動尊は、歴代の西尾藩主に崇拝され西尾城内にあったが明治になってこちらに遷されました。本堂内にセルフ用朱印がありましたのでセルフで押印しました。

御朱印

山門

手水(可愛らしい)

本堂


須弥壇

本尊·如意輪観音

浪切不動尊


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