ちりゅうじんじゃ
知立神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
名鉄「御朱印めぐり」最初の参拝社。コロナ禍の影響で、御朱印が手書きしてもらえなかったのが、残念無念。
知立神社本殿。
知立神社境内。
参拝記念の1枚。
名鉄御朱印二軒目の狩場
チリュウと書いて「知立」
菖蒲と大あんまきと私、、、、、、の手
日時計は意外と正確です。
地中にあと3段以上もぐってる
晴天
山車のスタッフの皆様。
快く写真に写ってもらった。
菖蒲の花は少ししょんぼりでした
晴天その二
ちたて
知立神社さんも、名鉄御朱印めぐりがきっかけで、
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神社なのに、こんなにも立派な多宝塔が残っているのかと感動しました。
多宝塔
幾多の困難を乗り越えて、今に至る。。
ありがとうございます。
お伊勢参り おまけ③知立駅より徒歩で向かいました。池鯉鮒大明神とも称し、三河国第一の名社で、東海道沿線屈指の大社です。交通の要衝の地であったことから立派な神社です。知立駅からはバスも出ていますが本数があまりありません。徒歩ですと1キロ無いくらいですが途中坂道を下っていきますので帰りは少々しんどそう。昨日からの疲労で何とか楽をしたい気持ちでしたが、寡黙に歩いて到着。鳥居横には広めの駐車場があることから、参拝者も多いことだろう。綺麗にに整備された境内を散策しながら参拝し、社務所で書置きの御朱印を戴きました。
常夜灯
社号標
由緒書
鳥居
多宝塔 永正六年(1509)再建 重要文化財指定
「知立文庫」の扁額
明治期の廃仏毀釈の破壊から刈谷藩主土井利教が「文庫」としたため破壊から守った
千人燈
石橋前の灯籠
享保十七年(1732年)奉納の石橋
御手洗池
片目の魚がおり、身代わりとして娘を目の病から救ったためという伝説があります
手水舎
常夜灯
狛犬
拝殿 国登録有形文化財
本殿が少し見えます
親母神社社号標
境内社 親母神社(うばがみじんじゃ)国登録有形文化財
境内社 合祀殿
境内社 小山天神社
弘化四年(1847)奉納の灯籠
馬神
反射して見ずらいですが神馬像
秋葉社社号標
秋葉社鳥居
境内社 秋葉社
社殿
境内
二宮尊徳像
隣は知立公園になっています
知立公園に鎮座する境内社 土御門社社号標
明治神宮特別の名花などの菖蒲苑になっています、6月は綺麗に咲くのかと
土御門社鳥居
土御門社(つちのごぜんしゃ) 御祭神吉備武彦命(伝 知立神社創建の御奉行)
知立神社 中庭 社務所の裏になります
知立駅に戻る途中知立古城址が公園になっていました
【三河国 式内社巡り】
知立神社(ちりゅう~)は、愛知県知立市西町神田にある神社。式内社で、三河国二之宮。旧社格は県社。主祭神は鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえず;主神)、彦火火出見尊 (ひこほほでみ;主神の父)、玉依比売命 (たまよりびめ;主神の妻)、神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこ;神武天皇:主神の子)。相殿神は青海首命 (あおみのおびと;碧海地方の開拓者)、聖徳太子。境内の多宝塔は、国指定の重要文化財。
社伝によると、第12代景行天皇の御代、東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝祈願し、平定後の帰途、感謝して建国祖神の祭神4柱を祀ったのが創建。国史では、平安時代の851年以降、「知立神」の神階奉授と神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「参河国 碧海郡 知立神社 小」に比定されている。また、『参河国名所図会』によると、三河国二之宮であったと記載されている。室町時代以降、領主である水野氏の崇敬を受け、1471年に水野直守が社殿を修造、1526年に水野忠正も修理をしたが、1547年の兵火で焼失、現在地に遷座後、水野信光から社殿修造と社領の寄進があった。江戸時代には松平忠房から社領の寄進を受けた。当時は「池鯉鮒大明神」と称され、「東海道三社」の一つに数えられた(他の二社は三嶋大社と熱田神宮)。明治時代には、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、名鉄名古屋本線・知立駅の北方700mほどの住宅がまばらに立つ平地にある。境内南端は幹線道路(国道155線)に面している。境内はかなり広く、古来三河国第一の名社と謳うだけのことはある。大きく立派な社殿も見事だが、神仏習合の名残りの多宝塔(国指定の重要文化財)が印象的。境内西側は広い菖蒲園になっているので、その時期には相当見事であると思われる。
今回は、三河国の式内社、二之宮、愛知県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、自分以外にも多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の大きな<鳥居>。社号標は?
けっこう離れた場所に立つ、背の高い<社号標>。
<鳥居>と<社号標>を1枚に収めようとするとこんな感じ。
鳥居の後ろは参道ではなく駐車場(臨時?)になっているため、鳥居はくぐらず両側から北上し社殿を目指す。
鳥居の右側を進むと、境内東端にある<多宝塔>。室町時代後期1509年の建立で、国指定の重要文化財。
<多宝塔>を正面から。三間四方の二層の塔で、塔高14.5m、柿葺。社伝では円仁が神宮寺建立の際に二層の塔を建立したとのことで、こちらはその再建。
拝殿に近づくと池が現れ、そこには<石橋>架かっている。
池を避けるために左側を進むと、境内西側に<手水舎>。
手水舎から<拝殿>に向かう。
<拝殿>全景。
拝殿手前左側の<狛犬>。吽形は角あり。小太りの珍しい形。(^_^;)
拝殿手前右側の<狛犬>。阿形は角なし。
<拝殿>正面。拝殿は桁行六間、梁間三間、切妻造妻入、檜皮葺。奥には<祭文殿>や<回廊>がある。
社殿最奥部にある<本殿>。江戸時代後期1831年の建立。三間社流造、檜皮葺。
当社の社殿は、本殿・幣殿・祭文殿・廻廊・拝殿を縦長に接続する「尾張造」となっていて、三河地方では珍しいとのこと。尾張から三河への伝播を表す遺構となっている。
社殿右側にある、摂社<親母神社>。
親母神社の右隣にある、末社<合祀殿>。天照皇大神などを祀る。
合祀殿の右隣にある、末社<小山天神社>。
小山天神社の右隣にある、もう一つの社殿。
拝殿に向かって右手にある<神馬舎>。
神馬舎の右手にある<秋葉神社>の鳥居。
<秋葉神社>の社殿。
秋葉神社の鳥居近くにある<御神木>。
秋葉神社の鳥居近くから見た<社殿>。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た社殿。「尾張造」で社殿が縦長なのが分かる。
本社の境内地の西側に広い敷地「知立公園」があって、そこに建つ摂社<土御前社(つちのごぜんしゃ)>。祭神は吉備武彦命で、当社創建にあたった奉行とのこと。
公園の大部分は<菖蒲園>になっている。この花菖蒲は明治神宮から下賜されたものとのこと。
<土御前社>の鳥居。
<土御前社>の社殿。
菖蒲園の東部にある<芭蕉句碑>。
菖蒲園からの本社入口。突き当りに重文の美しい多宝塔が見える。(^▽^)/
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