ほうぞうじ|浄土宗西山深草派|二村山
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法蔵寺の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
電話番号 | 0564-48-2636 |
巡礼
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💜大河ドラマ聖地巡礼
旧東海道に面した飛鳥時代の創建に始まる名刹で徳川家康公所縁の場所として参詣しましたが、古代から明治維新まで様々な歴史満載のお寺さんです。
家康公が幼少の折には、当時の住職であった伯父にあたる教翁上人が就いて、当寺で学問や手習いなどを行ったとされ、境内の一番高い所には東照宮が鎮守社として祀られています。
そしてその東照宮の下には、松平家の御霊廟十基と三方ヶ原の合戦の忠死者の墓十八基が在りました。その中には、大河ドラマ「どうする家康」の「真・三方ヶ原合戦」の回で、殿の身代わりとなり金陀美具足を纏って討ち死にした、夏目次郎左衛門吉信のお墓が在りました。
お墓ですので写真は控えましたが、相当数の視聴者の感動を誘ったのとはかけ離れた、大変こじんまりとしたものでした。
でも改めて今、多くの人々の心の中に生き続けることになったと思います。
三河三十三観音霊場巡りの15寺目は、岡崎市に在る第12番の二村山 法蔵寺です。14寺目の渭信寺から南へ約2.5kmの所です。今回の最後となります。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音菩薩。
伝えによれば、701年に行基が観音像を刻み、法相宗の出生寺を創建。後に空海が諸堂を改修、六角堂を建立し、真言宗に改宗。1385年に京都·円福寺から来住した教空龍芸が浄土宗に改宗し、法蔵寺に改めた。その後、松平親氏が伽藍を建立し、松平家の菩提寺とした。また、家康が幼少の頃にこの7代教翁和尚(家康の伯父)に読み書きを習ったとの事です。
参道の両側に30台位駐車できます。
一番手前に家康お手植えの御草紙掛松があります。山門をくぐると賀勝水、石段の途中に日本武尊社があって鐘楼門をくぐると境内に入ります。結構広い境内です。
先ず、本堂で手を合わせます。堂内には入れませんが扉が開かれていますので須弥壇の本尊·阿弥陀如来は確認出来ました。こちらにはセルフ用御朱印はありません。
本堂左側には六角堂と棟続きの拝殿、こちらに札所本尊の聖観音が祀られていますが確認出来ませんでした。六観音が祀られているそうです。(「写真で勘弁してね。」と庫裏で言われました。)こちらにもセルフ用御朱印はありません。
奥へ進むと、新撰組の近藤勇の首塚、松平家御霊廟と三方ヶ原合戦忠死者の墓、その上に家康が詣りに来たという東照宮があります。(東照宮って家康が亡くなった後に造ったはずなんだけど・・)
ぐるっと廻ってから庫裏の納経所で朱印を押印して頂きました。
御朱印
御草紙掛松(家康お手植えの松 現在4代目)
山門
賀勝水
日本武尊社
鐘楼門
境内案内図
本堂
本堂内
観音堂(六角堂)拝殿 2002年再建
六角堂
祀られている六観音(観えません)
近藤勇(新撰組)首塚
本当に近藤勇の首が埋葬されたらしい
松平家御霊廟と三方ヶ原合戦忠死者の墓
東照宮
客殿
庫裏(納経所)
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