ほうぞうじ|浄土宗西山深草派|二村山
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巡礼
その他の巡礼の情報
法蔵寺について
ゆかりの品々が今も残る幼き竹千代が学んだ開運の寺
家康公が子供の頃、学問に励んだとされる寺。硯箱や机、草紙かけ松など竹千代時代の品やゆかりの場所が多く残ります。敷地内には家康公を祀る東照宮や六角堂の開運勝利観音などもあり、開運にも縁のある寺です。
賀勝水
境内に湧き出る「賀勝水」は、竹千代が習字の水を汲んだとされる水。日本武尊が兵士に飲ませたともいわれています。
山腹には新選組局長•近藤勇のものと伝わる首塚もある。
令和5年度晩秋の時点で直書き御朱印は5種類あります。(元々は4種類あった御朱印が、大河ドラマのどうする家康影響で増やされたとのことでした。)
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基本神社にしか行かない私ですが、御用があって行きました。飛鳥時代に仏教界の英雄(当時では問題児)の行基さんによって建立され、室町時代に徳川家の祖とされる松平親氏公によって伽藍が作られ、そのまま菩提寺として崇敬されていました。
《山門》
所属する浄土宗西山深草派は京都市中京区の誓願寺を本山とする宗派です。
《鐘楼門》
《日本武尊社》
楼門の左手にあります。
《本堂》🙏
徳川家の大元である松平家の菩提寺であるため、中央に葵の御紋があります。
《境内図》
《末社》
《近藤勇の首塚》
京都で斬首されさらし首にされた近藤さんの首を斎藤一が奪取し、こちらの住職だった孫空義天に供養を依頼しました。その後義天はこちらに異動になり、そのまま埋葬されたと言われています。
《本宿東照宮》🙏
👁チェックポイント‼️
松平家の菩提寺だったということから、当寺にも東照宮があります。
そしてこちらの扁額ですが、その時には気づかなかったのですが、揮毫者は神祇伯を世襲していた白川家の30代目当主である白川雅寿王だそうです。どういった由縁があったのでしょうか…ちなみにこちらの御朱印をいただけます。これが目的でした。
《客殿・恵比寿社》
《納経所》
残念ながら住職さん?が留守で、書置きの御朱印いただきました。
💜大河ドラマ聖地巡礼
旧東海道に面した飛鳥時代の創建に始まる名刹で徳川家康公所縁の場所として参詣しましたが、古代から明治維新まで様々な歴史満載のお寺さんです。
家康公が幼少の折には、当時の住職であった伯父にあたる教翁上人が就いて、当寺で学問や手習いなどを行ったとされ、境内の一番高い所には東照宮が鎮守社として祀られています。
そしてその東照宮の下には、松平家の御霊廟十基と三方ヶ原の合戦の忠死者の墓十八基が在りました。その中には、大河ドラマ「どうする家康」の「真・三方ヶ原合戦」の回で、殿の身代わりとなり金陀美具足を纏って討ち死にした、夏目次郎左衛門吉信のお墓が在りました。
お墓ですので写真は控えましたが、相当数の視聴者の感動を誘ったのとはかけ離れた、大変こじんまりとしたものでした。
でも改めて今、多くの人々の心の中に生き続けることになったと思います。
名称 | 法蔵寺 |
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読み方 | ほうぞうじ |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0564-48-2636 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://okazaki-kanko.jp/point/487?msclkid=2a6a4547bf1011ec85ccca46aadbb7ef |
巡礼の詳細情報
三河三十三観音霊場 第12番 | 御本尊:聖観音 |
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三河七福神 第1番 | 御本尊:恵比寿尊 御真言: おんいんだらやそわか 御詠歌: ほうぞうをひらきてふくをもろ人に さづくる神のえびす在すてら |
三河新四国八十八ヶ所霊場 第35番 | 御本尊:阿弥陀如来 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 二村山 |
宗旨・宗派 | 浄土宗西山深草派 |
創建時代 | 大宝元年(701) |
開山・開基 | 行基 |
ご由緒 | 飛鳥時代、行基により二村山出生寺として創建。
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体験 | 御朱印有名人のお墓札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 法蔵寺(ほうぞうじ)は、愛知県岡崎市本宿町にある浄土宗西山深草派の寺院。山号は二村山(にそんざん)。本尊は阿弥陀如来。所在地は、愛知県岡崎市本宿町寺山1。 |
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歴史 | 歴史[編集] かつては、二村山出生寺と称し、法相宗の古刹であった。飛鳥時代、行基は観音菩薩像を安置し出生寺を創建した。平安時代、空海の来訪により真言宗となる。南北朝時代、竜芸上人により浄土宗に改宗し、二村山法蔵寺と改称した。その後、徳川家の始祖・松平親氏が伽藍を建立して、松平家の菩提寺とした。徳川家康(幼名・竹千代)が、時の住持・教翁上人に就いて、読書きを習ったという(硯箱・硯石・手本・机などが残っている[1])。江戸時代、深草派三河三檀林のひとつとなる[2]。 年表[編集] 寺伝によれば大宝元年(701年) 行基によって法相宗の二村山出生寺として創建されたとされる。 至徳2年(138...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「法蔵寺 (岡崎市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%95%E8%94%B5%E5%AF%BA%20%28%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82%29&oldid=102083146 |
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