やはしらじんじゃ
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長興寺さんへ参拝に行った際に併せてのお参りとなりました。
長興寺のかつての敷地内、現参道を下っていくと八柱神社までに行ける様になっていますが、どうやら参道の一部をズドンと抜ける様になっています。
本来の大鳥居は、もう少し西方にあって立派な朱塗りの鳥居が建っています。
そこまでは時間の都合上、足は運べていませんが、この辺りの小さめの神社にしては大きい鳥居なので疑問点も浮かんできます(本当に大きいの、なんで?という感じ)。
神楽殿、拝殿、本殿と西向きに建立されています。(本来は西側にある街道から歩いていたのでしょうか?)
境内地には、手水舎、白馬像、二宮尊徳像、乃木希典像に近しい時代に作られた龍宮社と山神社ともう一社(判読できず不明)があります。
境内地の広さからすると、小学生の集合場所だったり登下校時に寄って行ったような感じが残っていました。まぁ今ではお子さんの数も少ないので,そういう場面も見受けられそうになさそうですね。

鬱蒼とした森の中に神社があります。目の前の通りを左進すると長興寺山門に辿り着きます。
白馬像の前に小さく神社柱があります。
正面は神楽殿でしょうか?

西側を見ています。
ただの鳥居に見えますが。ちょっと珍しい両部鳥居です。
神仏習合の名残があるという鳥居です。
長興寺の地名の元に立っているにで、かつては長興寺の境内に中に立っていたとされるので、これが当たり前なのでは!?

☆☆☆愛知県 豊田市☆☆☆(ちょうこうじ やはしらじんじゃ)
豊田市中心部の神社巡礼:豊田市の中央部やや南東に鎮座されています。
町の名前はお寺から来ていますが、この地域の氏神様です。
朱色の立派な鳥居が目を引きます。
過去忘れた頃に何度も通りかかったことはありますが、参拝に訪れたのは初めてとなります。
境内には神馬像のほかに「乃木希典像」と「二宮金次郎像」がありました。
当たり前のように校庭にあった二宮金次郎像です。
最近の小学校では、どうやら「撤去」の傾向にあるようです。
二宮金次郎さんについては皆さん知るところと思います。
石像は大正時代から昭和初期のころ設置された学校が多いようです。
ちょうど100年くらい前でしょうか?
時代の流れから「教え」も変わって当然ですので仕方のないことです。
(撤去となると少々寂しい気持ちもあります。)
そんな「寂しい」気持ちを持たれた方が多かったのでしょうか?
時々、氏神様を祀る地区の神社に移設された像をお見掛けします。
拝むわけではないのですが、「誰?」なんて時代も来るかもしれません。
実際、お隣の乃木希典さんを知らない方は多いようです。
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
社伝に建武5年(1338)5月12日、長興寺の開山和尚京都に上り加茂祭に逢い神輿を拝む垂簾の内より六十ばかりの老聖人衣冠端麗にして云う、「吾れ加茂の明神なり。東国に吾が王子八人あり。その地に大塔を建てんと欲す。願わくば和尚大願主となり給え。」これ長興寺の八王子社なりという。
明治5年10月12日、八柱神社と改め村社に列格。
明治40年10月26日、指定社となる。
大正3年11月13日、字平山の太神宮社を本社に合祀した。
12等級、指定村社。
(『愛知縣神社名鑑』より)
写真












八柱神社の情報
| 住所 | 愛知県愛知県豊田市長興寺2-71 |
|---|---|
| 行き方 |
八柱神社の基本情報
| 名称 | 八柱神社 |
|---|---|
| 読み方 | やはしらじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、熊野樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命、天照大御神 |
|---|---|
| 創建時代 | 建武5年(1338) |
| ご由緒 | 社伝に建武5年(1338)5月12日、長興寺の開山和尚京都に上り加茂祭に逢い神輿を拝む垂簾の内より六十ばかりの老聖人衣冠端麗にして云う、「吾れ加茂の明神なり。東国に吾が王子八人あり。その地に大塔を建てんと欲す。願わくば和尚大願主となり給え。」これ長興寺の八王子社なりという。
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