じょうこうじ|臨済宗妙心寺派|応夢山
定光寺
愛知県 定光寺駅
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
中国風の霊廟建築は独特の雰囲気
「源敬公廟」
徳川家康の九男・義直(尾張徳川家初代)が定光寺の地の風光を愛し、自らの廟所と定めた。儒教を好んだ義直らしく帰化明人の手による霊廟は儒教式建築。
(『あいち武将観光ガイドブック』より)
今回は近場の寺院へ行きました。紅葉がまあまあ有名で、JRの駅名にもなっている寺院ですが、一度も参拝した事がなかったので今回参りました。愛知県瀬戸市に在る応夢山 定光寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は地蔵菩薩。
1336年に覚源禅師により開山。その後、災害等により衰退したが、尾張藩祖の徳川義直(源敬公)により復興された。本堂は火災にあったが1493年に再建、何度か修復を受け、重文に指定されています。
庄内川沿いの愛岐道路(昔は有料道路、現在は無料の県道15号)から東へ入って急坂を上がると定光寺公園の駐車場があり、そこに車を停めて参道を上がりました。(一般的に定光寺へは坂道を上がり、墓地を抜けて、展望台駐車場に停めます。) 案内看板には徒歩10分となっていましたが5分足らずで山門に着きました。
山門をくぐると本堂、本堂の右側には徳川義直廟の御門、方丈、客殿、鐘楼。左側には開山堂、経蔵です。本堂で手を合わせてから徳川義直廟へ行く積もりでしたが、残念ながら保存工事中で行けませんでした。発注者が徳川義崇となっていますので、徳川家所有のようです。
御朱印を頂こうと思いましたが、ご不在でしたので頂けず。またの機会に。
展望台(駐車場)へ行ってみると名古屋駅前の高層ビル群が見えました。
参道入口
参道
山門
客殿への門
手水
本堂
鐘楼
徳川義直廟御門
工事中のため徳川義直廟へは行けませんでした。
方丈
客殿
開山堂
本堂を横から
経蔵
展望台(駐車場)から南西の名古屋を望む
山の右側に名古屋駅前の高層ビル群
瀬戸市最後は定光寺です。瀬戸の中心街とは離れて春日井市との境にあります。恥ずかしながら今まで春日井市にあると思っていました。だってJR定光寺駅は春日井市にあるからね。
定光寺は駅からちょっと離れた山の頂上付近にあります。歴史は古く、室町時代の創建です。
山門です。
禅宗のお寺です。
由来書きです。
鐘楼です。
手水舎。常に大量の水が出ており、びっしょり濡れています。
本堂です。そのオーラに息を呑みました。1500年代に建て替えてからは修復のみで維持されてきたそうです。堂々とした姿は何回見ても飽きません。国指定重要文化財になっています。
扁額です。無為殿と書かれています。
こちらでお参りです。
本堂内です。美しい!
来てから知ったのですが、徳川義直公の廟所がありました。義直公といえば家康公の九男で尾張藩主であり、初代名古屋城主でもあります。
何でも鷹狩りが好きで、よくこの定光寺付近で鷹狩りを楽しみ、この場所が気に入り死んだらここに墓を造るように命じたそうです。
拝観料は100円で木箱に入れるようになっています。
結構歩かねばなりません。
最初の門です。獅子の門と呼ばれています。
次の門は・・・
龍の門です。
門の彫刻です。ガラスが反射して見にくいですが、左甚五郎作と言われています。ホントかな?
焼香殿です。門にしてもこの建物にしてもちょっと変わっています。中国の儒教形式だそうです。雨戸みたいな板でガッチリガードされています。
最後は唐門です。
これを見ると葵の御紋の徳川家だということがよくわかりますね。この向こう側がお墓になります。撮ろうと思うと撮れるのですが、何か失礼な感じがしてやめておきました。
義直公の説明書です。家康公にも思ったことをはっきり言う立派な方だったそうです。なお義直公の廟所も国指定重要文化財になっています。
また本堂に戻って来ました。まだ新しめの地蔵菩薩様です。
横の池です。
ちょっと登ったところから見た本堂です。何回見ても飽きません。御朱印はあるそうですが、お寺の方を見かけなかったので諦めました。ありがとうございました。
名称 | 定光寺 |
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読み方 | じょうこうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0561-48-5319 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
お守り | あり |
ご本尊 | 延命地蔵願王菩薩 |
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山号 | 応夢山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 建武3年(1336) |
体験 | 御朱印 |
概要 | 定光寺(じょうこうじ)は、愛知県瀬戸市定光寺町373にある臨済宗妙心寺派の寺院。 |
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歴史 | 歴史[編集] 建武3年(1336年)、覚源禅師(平心處齊)が籐左衛門尉の案内で尾張国山田荘水野郷を訪れ、この地方の領主であった水野致国と美濃国小田の山内入道が開基檀越となり、臨済宗建長寺派の寺院として創建した。慶安2年(1649年)、喝堂全用が妙心寺派寺院として再興した。 慶安3年(1650年)に尾張徳川家初代徳川義直が没すると、寺域に隣接する山林にその翌年から3年をかけて源敬公廟(徳川義直廟墓)が造営され、尾張徳川家の庇護を受けるようになった。 尾張徳川家第19代当主・徳川義親のとき、同家が約300年間に造営した墓所約170基を廃し、徳川義直廟墓の隣の尾張徳川家所有地の地下に鉄筋コンク...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR中央本線 定光寺駅から徒歩で約25分。 瀬戸市コミュニティバス「定光寺公園」バス停下車。 |
引用元情報 | 「定光寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9A%E5%85%89%E5%AF%BA&oldid=97999553 |
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