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だいこうじ|天台宗朝宮山

大光寺
愛知県 春日井(JR)駅

パーキング
駐車場
あり

あり

御朱印について御朱印
-
ありません

その他の巡礼の情報

尾張西国三十三札所第10番

大光寺について

連絡先は、同市二子町にある日輪寺の様です。
電話番号も記載されていたので、こちらです。
0568-31-6680

おすすめの投稿

ハイチュウ
ハイチュウ
2025年10月13日(月) 18時03分51秒
4266投稿

元三大師(がんさんだいし)のお札さんって暗い所で見ると、やっぱり怖いよね。

大光寺の山門・神門
大光寺のその他建物
大光寺のその他建物
大光寺の本殿・本堂

本堂

大光寺の末社・摂社

元三大師堂

大光寺の末社・摂社

元三大師堂内

大光寺のその他建物
大光寺のその他建物
大光寺のその他建物
大光寺の末社・摂社

観音堂

大光寺の末社・摂社
大光寺の末社・摂社

観音堂内(尾張西国三十三観音 第10番札所)

大光寺の末社・摂社

三十三観音堂

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シンくん
シンくん
2022年05月08日(日) 15時49分55秒
3666投稿

こちらも参拝予定が、見どころ多くてゆっくりで…

大光寺のその他建物
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大光寺の歴史
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大光寺の本殿・本堂
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大光寺の芸術
大光寺の芸術
大光寺の芸術
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尾張西國霊場巡拝

大光寺のその他建物

ご本尊は十一面観世音

大光寺の芸術

昭和十一年九月寄進
西國三十三◯◯◯番長谷寺◯◯

大光寺の芸術

西国三十三ヶ所巡拝同行四十七名
平成十三年十二月 絵、小原勇さん 枠、直井与市さん

大光寺の本殿・本堂
大光寺の本殿・本堂
大光寺の末社・摂社
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大光寺の歴史
大光寺のその他建物
大光寺の末社・摂社
大光寺の末社・摂社

観音扉に何かの絵が描かれていた形跡ありますね。

大光寺の地蔵
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大光寺の体験その他
大光寺のその他建物
大光寺の仏像
大光寺のその他建物
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大光寺の庭園

モッコクモドキが咲いていました。

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歴史

建保6年(1218)当地に来住した上条城主男阪孫九郎光善が、廃絶に近い大光寺を朝宮より上条本郷の地に遷し、慈鎮和尚を招請し、七堂十二坊を建立したとされる。
その頃は式内和爾良神社の荒廃と共に天台宗の巨刹大山の正福寺が焼き打ちされた仁平2年(1152)から数十年後のことであって尾張天台宗が衰退を続けている頃である。
明治維新の神仏分離以前は和爾良神社の別当職をつとめた寺であった。
当寺は古代のことは不明で現在地に大伽藍を創建した時を起点とし、慈鎮和尚をもって開山としている。
慈鎮は天台座主になられた高僧慈円大僧正で、当時、比叡山より慈鎮を迎えたことからみて尾張天台宗復興の意欲がうかがえる。
大光寺は天正12年(1584)長久手の役の戦火により、堂宇ことごとく焼失した。なお、それ以前にも織田家の内紛の犠牲になるなど再三火難に遭っていると伝えられる。
正保2年(1645)俊秀法印により、観音堂その他の建物が復興し一応の寺観を整えた。それで俊秀をもって中興としている。
大正3年(1914)又々火災にあい、わずかに元三大師堂、表門など一部を残してほとんど全焼し、昭和12年、庫裡の完成するまで規模は縮少されながらもほぼ現在の姿に復興した。
(『春日井の寺院』より)

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大光寺の基本情報

住所

愛知県春日井市上条町8-3618

行き方

JR中央本線(名古屋~塩尻)「春日井」駅 から徒歩21分

アクセスを詳しく見る
名称

大光寺

読み方

だいこうじ

おみくじ

あり

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩像
山号

朝宮山

宗旨・宗派天台宗
ご由緒

建保6年(1218)当地に来住した上条城主男阪孫九郎光善が、廃絶に近い大光寺を朝宮より上条本郷の地に遷し、慈鎮和尚を招請し、七堂十二坊を建立したとされる。
その頃は式内和爾良神社の荒廃と共に天台宗の巨刹大山の正福寺が焼き打ちされた仁平2年(1152)から数十年後のことであって尾張天台宗が衰退を続けている頃である。
明治維新の神仏分離以前は和爾良神社の別当職をつとめた寺であった。
当寺は古代のことは不明で現在地に大伽藍を創建した時を起点とし、慈鎮和尚をもって開山としている。
慈鎮は天台座主になられた高僧慈円大僧正で、当時、比叡山より慈鎮を迎えたことからみて尾張天台宗復興の意欲がうかがえる。
大光寺は天正12年(1584)長久手の役の戦火により、堂宇ことごとく焼失した。なお、それ以前にも織田家の内紛の犠牲になるなど再三火難に遭っていると伝えられる。
正保2年(1645)俊秀法印により、観音堂その他の建物が復興し一応の寺観を整えた。それで俊秀をもって中興としている。
大正3年(1914)又々火災にあい、わずかに元三大師堂、表門など一部を残してほとんど全焼し、昭和12年、庫裡の完成するまで規模は縮少されながらもほぼ現在の姿に復興した。
(『春日井の寺院』より)

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