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鳥居強右衛門の生誕地です。徳川家康公から長篠城を託された奥平信昌は、武田勝頼からの攻撃にも防衛を続けていましたが落城寸前になり、家康公への援軍要請に鳥居強右衛門が武田軍に包囲された長篠城を抜け出し、家康公への援軍要請が成功しました。急いで長篠城へ戻るあと少しのところで武田軍に捕らえられ、長篠城にいる兵の士気を落とすため、長篠城に向かって「援軍は来ない」と言うように命令されましたが、援軍が来るから持ちこたえるようにと叫びました。これにより長篠城の兵は士気が上がり、城を守り抜きました。しかし鳥居強右衛門は処刑されてしまいました。ほとんど歴史の表舞台に取り上げられることのないこの話は、奥三河周辺に伝わっています。鳥居強右衛門の貼付け姿の絵を見ることがよくあります。大河ドラマ「どうする家康」の1話がほぼ鳥居強右衛門で構成されていました。大河ドラマの後訪れた人が少し増えたそうです。
もっと読む武田勝頼「命が欲しくば援軍は来ないと長篠城に向かって叫べ!」
強右衛門「分かった。援軍は・・・二、三日の内に必ず来る!それまで持ちこたえてくれ!」
武田勝頼「おのれ!裏切ったな!こやつを即刻磔にいたせ!」
勝頼の家臣「殿!強右衛門は敵とはいえ忠義を果たした者。なにとぞ考えを改め命だけは。」
武田勝頼「ならぬ!武士の忠義などくそ食らえじゃ!」
勝頼の家臣「殿!なにとぞお考えを!・・・」
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徳川家康『武士の忠義を粗末にする大将はいずれ家臣たちの離反を招くじゃろう。』
織田信長『死を持って忠義をはたした強右衛門の墓を造るがよい。』
強右衛門は長篠城を抜けだし敵の真っ只中を命がけでとっぱして岡崎城に援軍を伝えた戦国時代の足軽です。まさに「戦国の走れメロス」です。
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