御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

ぎょくりんじ|曹洞宗常春山

玉林寺のお参りの記録一覧
愛知県 三河一宮駅

恩湯の長門湯守君 ❘ Nagato Yumori
恩湯の長門湯守君 ❘ Na…
2024年12月27日(金)
31投稿

【 大寧寺 四十五世 簣運泰成和尚を訪ねて、豊川の玉林寺へ 】

簣運泰成(きうんたいじょう)禅師(1810年頃~1901年)は、大寧寺四十五世の住職。「廃仏毀釈」が打ち出された明治期に、大寧寺から、豊川稲荷の妙厳寺へ政治亡命し、「廃藩置県」に伴う政治犯の一斉恩赦が行われるまで、その場所でかくまわれていた歴史がある。その間、大寧寺の住職様は不在だったそうだ。

その時代、大寧寺だけでなく、政府からの神仏分離政策が「豊川稲荷」にも及び、豊川稲荷(神)と妙厳寺(仏)が切り離されそうになったときに、簣運禅師は、政府の要人(長州メンバーや以前より親交の深かった三条実美)に掛け合い、極限のホスピタリティを発揮され、神仏分離をくい止めたという伝説が豊川稲荷に残っている。大寧寺に豊川稲荷が分社されているのは、この因縁からだ。

玉林寺の堀禅師と運良くお会いすることが出来、大寧寺の関係者ということで、快く迎えていただき、境内をご案内していただいた。そこには、簣運禅師の掛け軸や、八十八歳の頃にお書きになられた、晩年も内なるパワーのみなぎりを感じる書もあり、胸がいっぱいになった。ご案内の中で、なんと歴代住職が祀られている「開山堂」にまで通していただき、ご位牌を拝見すると、簣運禅師は玉林寺の二世であられた。

さらに、、そこで目にしたものがびっくり仰天。

なんと「大寧傅法四世 住吉大明神」が祀られていた!!

この場所にまで、大寧寺の住吉大明神が配置されているとは、、どういうことか。

辻禅師「明治のときに、この場所で創られたものです。大寧寺を想い、大事にされていた、簣運禅師の故郷へのこころの現れではないでしょうか。」

豊川稲荷と妙厳寺の関係はおろか、日本人の「神仏習合」感覚を死守するために、さらに、大寧寺の場所文化でもある「住吉大明神との関係性」もこころに秘めて、「神仏分離」を食い止めるべく、豊川稲荷で戦われていたとは、、畏し!

山口への怒りと絶望があったとは思うものの、この住吉大明神の木像を通して、豊川より長門の大寧寺へ想いを馳せていたことが確認できて、嬉しかった!

辻禅師より、教えてもらったのだが、明治の時代が安定した頃に、井上馨と伊藤博文が、簣運禅師を尋ねて、豊川稲荷に来られたという伝説が、言い伝えとして、残っているそうだ。

玉林寺(愛知県)

玉林寺の辻禅師とお会いすることが出来、光栄だった。

玉林寺のお墓

玉林寺第二世 簣運泰成(きうんたいじょう)禅師の位牌

玉林寺(愛知県)

「開山堂」まで通していただき、そこで目にしたものがびっくり仰天。

なんと「大寧傅法四世 住吉大明神」が祀られていた!!

玉林寺(愛知県)

簣運泰成(きうんたいじょう)禅師、八十九の時の書。

玉林寺(愛知県)

簣運泰成(きうんたいじょう)禅師の書。

もっと読む
行きたい
投稿する
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ