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いなりしゃ

稲荷社(赤坂町)
愛知県 名電赤坂駅

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について御朱印
-
ありません

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ハイチュウ
ハイチュウ
2025年04月15日(火) 19時18分11秒
4253投稿

昔々、大火事の出火元になった所に建立しました。
ちょっと分かりにくい所です。

稲荷社(赤坂町)のその他建物

ここを入って行きます。

稲荷社(赤坂町)の鳥居
稲荷社(赤坂町)の本殿・本堂

拝殿

稲荷社(赤坂町)の本殿・本堂

本殿

稲荷社(赤坂町)の末社・摂社

秋葉堂

稲荷社(赤坂町)の末社・摂社

秋葉堂

稲荷社(赤坂町)のその他建物
稲荷社(赤坂町)の周辺

(周辺情報)大橋屋(旧旅籠鯉屋)
大橋屋の江戸時代の屋号は「鯉屋」といい、一般の旅人が宿泊する旅籠屋を営んでいた。現存する主屋は文化6年(1809)の赤坂宿の大火以降に建てられたと考えられている。大橋屋に残されていた間取り図によると、間口が狭く奥行の長い宿場町特有の敷地に、主屋、継ぎの間、奥座敷、 土蔵が並んで建っていた。江戸時代の後期になると庶民も社寺参詣や物見遊山の旅に出かけるようになり、鯉屋にも多くの旅人が宿泊したと思われる。明治以降も旅籠屋を続け、旅人が安心して利用できる旅宿組合の一つである一新講の定宿になっていた。明治11年(1878)の東海北陸巡幸のときには、明治天皇の行在所にもなった。

稲荷社(赤坂町)の周辺
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稲荷社(赤坂町)の基本情報

住所

愛知県豊川市赤坂町字東裏137

行き方

名鉄名古屋本線「名電赤坂」駅 から徒歩15分

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名称

稲荷社(赤坂町)

読み方

いなりしゃ

通称

三崎稲荷社

詳細情報

ご祭神《主》倉稲魂命
創建時代

正徳3年(1713)

ご由緒

宝永6年(1709)11月5日夜、川原町の三之助方より出火し、赤坂宿戸数の8割余にあたる418戸が全焼した。
宿役人たちは復旧に力を尽くしたがその目途も立たないので、名主五太夫は宿役人彦十郎、又左エ門とともに11月12日、江戸へ家作金拝借嘆願のため出立した。
その年の暮れに彦十郎、又左エ門は帰宿したが、五太夫はその後三か年の間、江戸にとどまり、嘆願を続け、やっと念願がかない、金4,877両余を拝借することができた。
五太夫は三か年の間、市ヶ谷土手の三崎稲荷社へ願をかけていたが、その願が成就したので、神主和田周防守へ依頼し、正徳3年(1713)火元である三之助屋敷跡へ三崎稲荷を分身して勧請した。
また安永6年(1777)に、当時の神主金沢惣太夫は、山城国紀伊郡三之峰に登り、正一位稲荷大明神を勧請し、相殿としたものである。
明治改新の際、据置公許となる。
15等級、無格社。
(『音羽町誌』『愛知縣神社名鑑』より)

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