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歴史

承応3年(1654)神明社と天王社の2社が創建される。
明治中頃以降に橋詰神社と称されるようになる。
昭和9年(1934)道路工事のために境内が約半分になり、現在のような姿になる。
元天王社の大祭として行われているのが6月の尾張西枇杷島まつりになります。
寛永12年(1780)の常夜灯。
嘉永元年(1848)の水盤など、古い石造物が境内にある。
境内には問屋町頼朝車の山車蔵がある。
享和2年(1802)の製作といい、宵祭で振陽車と書かれた提灯が灯されることから元は振陽車と呼ばれていたと考えられる。
弘化4年(1847)修理の際に源頼朝のからくり人形が設けられ、静御前が頼朝の前で愛する義経を偲んで舞い踊ったという故事にちなんだからくりが披露される。

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橋詰神社の基本情報

住所愛知県清須市西枇杷島町橋詰57-1
行き方

名鉄名古屋本線
西枇杷島駅 から徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称橋詰神社

詳細情報

ご祭神《主》須佐之男命
創建時代承応3年(1654)
ご由緒

承応3年(1654)神明社と天王社の2社が創建される。
明治中頃以降に橋詰神社と称されるようになる。
昭和9年(1934)道路工事のために境内が約半分になり、現在のような姿になる。
元天王社の大祭として行われているのが6月の尾張西枇杷島まつりになります。
寛永12年(1780)の常夜灯。
嘉永元年(1848)の水盤など、古い石造物が境内にある。
境内には問屋町頼朝車の山車蔵がある。
享和2年(1802)の製作といい、宵祭で振陽車と書かれた提灯が灯されることから元は振陽車と呼ばれていたと考えられる。
弘化4年(1847)修理の際に源頼朝のからくり人形が設けられ、静御前が頼朝の前で愛する義経を偲んで舞い踊ったという故事にちなんだからくりが披露される。

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