とうえんざん ななつでら|真言宗智山派|稲園山
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楽しみ方稲園山 七寺のお参りの記録一覧

【41】七寺
愛知県名古屋市中区大須2-28-5
大須観音からほんの数分のところにある、七寺(ななつでら)へ参拝いたしました。
真言宗智山派のお寺で、正式名は稲園山正覚院長福寺。
延暦6年(787年)、7歳で亡くなった我が子を弔う為に紀是広によって七堂伽藍が建立されたところから七寺と呼ばれるようになったとのこと。
1945年の名古屋大空襲の折、かろうじて観音菩薩像・勢至菩薩像が焼失をまぬがれ、のちに重要文化財に指定されました。
境内の木陰には、どーんと大日如来が坐していらっしゃって、空襲で破壊され頭部も落ちてバラバラになるも戦後なんとか修復し現在のお姿となったと説明書きがありました。
戦争、空襲、想像してもしきれない出来事に思いを馳せながら、静かな気持ちでお参りし御朱印を拝受いたしました。
(サラサラサラと書いてくださった御朱印が非常に格好良くしびれました)
目的地、熱田神宮へ向かいます。


お堂と大日如来坐像

ご本尊 観音勢至両菩薩

「東海三十六不動」第9番札所です。
735年、行基によって尾張国海東郡萱津に開かれました。
当時の寺名は正覚院でした。
787年12月、紀是広が7歳で亡くなった我が子を弔う為に、7区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになりました。
1591年、豊臣秀吉の命を受けた清洲の豪族・鬼頭孫左衛門吉久が清洲に寺を移して本堂を再建し、中島郡大塚村の性海寺の住僧であった良圓を迎えて中興開山とし、復興を行いました。
1611年、徳川家康の清洲越しの命によって、本堂が清洲から大須に移築され、かつて失われた諸堂も再建されました。
1700年、尾張藩第2代藩主徳川光友により三重塔が再建され、1730年より尾張徳川家の祈願所となりました。
切り絵御朱印がありました‼️








長福寺(七寺) 東海三十六不動尊霊場

長福寺(七寺) 東海三十六不動尊霊場

長福寺(七寺) 東海三十六不動尊霊場

長福寺(七寺) 東海三十六不動尊霊場

最後に七寺(長福寺)さんに参拝致しました。
コンパクトな境内にお参りスポットが沢山あります。
ご本尊様1 大勢至菩薩様 ご真言
オン サンザンサク ソワカ
オン サンザンサク ソワカ
オン サンザンサク ソワカ
ご本尊2 聖観音様 ご真言
オン アロリキヤ ソワカ
オン アロリキヤ ソワカ
オン アロリキヤ ソワカ
大きな大日如来様もいらっしゃいました。
オン アビラウンケン バザラダト バン
オン アビラウンケン バザラダト バン
オン アビラウンケン バザラダト バン
御朱印はご本尊様と不動明王様の2つを頂きました^^
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。。













この日の巡礼ツアーのラストにお参りしました。

直書きで拝受しました。
御朱印「不動明王」です。

直書きで拝受しました。
ご本尊の御朱印「大勢至 聖観音 両菩薩」です。

寺号標がある正面入り口。

本堂前の様子。
悪天候だったこともあり、残念ながら時間をかけて拝見することができませんでした。

境内の木々の中に大日如来像が鎮座しています。

東海三十六不動尊霊場巡礼の童子札もいただきました。

ここのお寺は、大須観音からほどなく近い所にあります。御朱印を直書きで書いて頂いた方は、人の良い顔立ちの方でした。御朱印は凄く丁寧に書いていただきました。字体も気に入っております。今度はもう少しゆっくりと大須を回ろうと思います。

御朱印です。丁寧に書いて頂きました。

お寺の看板です。

石碑です。

梅?綺麗ですね。



お知らせがありました。

名古屋廿一大師、8度目の参拝ですかね!?


コロナ禍前に普通にされていたとの事でした。
観光バスを借りてのことの様です。



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