とうえんざん ななつでら|真言宗智山派|稲園山
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楽しみ方稲園山 七寺のお参りの記録一覧
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TK4
2023年04月14日(金)544投稿

ミヤちゃん
2023年03月18日(土)56投稿

シンくん
2023年03月04日(土)3920投稿

シンくん
2023年02月04日(土)3920投稿

シンくん
2023年02月03日(金)3920投稿

ひらひら
2023年02月05日(日)514投稿

シンくん
2022年12月04日(日)3920投稿

横式 亜音
2022年06月17日(金)249投稿

シンくん
2021年11月28日(日)3920投稿

隼シューター
2023年01月25日(水)1127投稿

ますみん
2021年09月22日(水)822投稿
(東海三十六不動9番札所)
(名古屋二十一大師2番札所)
大須観音にほど近い位置にあります。
735年、行基によって開かれたのに始まり、。当時の寺名は正覚院と称した。よれば、天平7年(735年)、行基によって尾張国海東郡萱津(現・愛知県あま市)に開かれたのに始まり、当時の寺名は正覚院でした。
787年、紀是広が77区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになったということです。
887年の水害や941年の兵火により荒廃したが、仁1167年に、勝幡城城主・尾張権守大中臣安長が寺を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建しますが、再び寺塔のほとんどは建武の乱の戦火で焼失してしまいます。
1591年、豊臣秀吉の命で清洲に寺を移し本堂を再建し、復興を行っています。
1611年、徳川家康の清洲越しの命によって現在地に移転されるに当たって本堂が清洲から移築され、1730年より尾張徳川家の祈願所となりました。
当時の大須界隈にあっては大須観音や名古屋御坊を凌ぐ寺勢を誇ったともいわれています。
1945年、名古屋大空襲で本堂、三重塔など経蔵以外の七堂伽藍全てが焼失してしまいます。
戦後元のようには復興できず、現在ではコンパクトな境内になっています。
空襲時に難を逃れた観音様と菩薩様が重要文化財に指定されています。
境内には、青銅製の大日如来蔵がいらっしゃいますが、満身創痍です。なんとかできれば良いのですが。

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