ひじえあがたじんじゃ
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
おすすめの投稿
広井八幡宮とも呼ばれ、名古屋の町ができる以前からずっとこの地に鎮座しています。
東は伏見通の東、西は堀川の西にある花車神明社、北は桜通の白山社、南は広小路通あたりまでが境内でしたが、城下町の建設で大幅に境内が狭くなり、戦災復興の土地区画整理で更に減り、昭和42年に現在の社伝を建築する時に社地の整理を行って現在の姿になっています。
直書きしてもらいました。
まずは私事ながら、今週病気を患いほぼずっと寝込んでおりました😅
投稿する気力は起こらずでしたが、なんとか皆さんの投稿を拝見して励みにしてきました!
おかげ様でまだ完治というところまでは至ってませんが、今日から仕事も復帰。
そして投稿も復帰させてもらいます。
泥江縣神社と書いて「ひじえあがたじんじゃ」と読みます。
名古屋駅から東方向に約1kmほどのオフィス街の中に鎮座。
社務所の場所がよくわからなかったため御朱印は拝受しておりません。
あとで確認したら、社務所は拝殿向かって右側を奥に進むとあるようでした。
こちらも平日の暑い夕方に参拝したため、他に参拝される方はいらっしゃらずでした。
基本的に一人でゆっくり参拝できたのでありがたかったです。
<御祭神>
應神天皇
神功皇后
三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)
<御由緒>~境内の由緒書より~
当神社は、尾張本国帳に従三位泥江縣天神とあり。清和天皇貞観元年豊前の国、宇佐八幡宮からこの地に勧請せられ当時境内八丁四方あり応永二十六年修繕、遷宮、社殿は、古社寺保護建造物に指定せられ、徳川時代には藩主を初め一般民衆の崇敬厚く広井の八幡と稱して親しまれ大祭には豪華な神輿をはじめ氏子、各町の傘鉾車が出て白山神社への神輿渡御武者行列などあり名古屋名物であった。
それが昭和二十年三月十九日の戦災で烏有に帰し復興したが昭和四十一年不審火に依り再度焼失した。幸いにも二度共御神体は御無事であり再興して今日に至った。
境内は清掃がすみずみまで行き届いていて、気持ちよく参拝できます
拝殿
本殿
錦稲荷社
御神木前の祠
菅原天神社 秋葉社 住吉社
蛭子社
蛭子社を参拝する前に、小槌でこの版木をトントントンとたたいてからお参りするそうです。
蛭子神は耳が遠いので、まずこちらをたたいて気付いて気付いてもらうのだとか。
五條天神社 金刀比羅社 八神社 楠社
昇龍見返り之楠
名称 | 泥江縣神社 |
---|---|
読み方 | ひじえあがたじんじゃ |
通称 | 廣井八幡宮 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇,多岐津姫命,市杵島姫命,多紀理姫命,息長帯姫命 |
---|---|
創建時代 | 859年(貞観元年) |
ご由緒 | 貞観元年(859)に豊前国宇佐の八幡宮の分霊として勧請された。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0