なごやじんじゃ
那古野神社のお参りの記録一覧
初詣3日目、六社目は那古野神社。
911年の創建といわれ、改称を繰り返したり移転したり歴史ある神社さんです。鳥居や手水舎の龍神などアンティークで良い雰囲気でした✨
500円
手水舎(大きな龍神)
社殿
境内社群
金山神社
福寿稲荷社
厄除の公孫樹
名古屋東照宮の右隣に鎮座しています。かつては八王子社と若宮八幡社と共に名古屋の総鎮守として鎮座していましたが、名古屋城築城の際に移転することになりますが、家康公が引いた御神籤によって当社だけ遷座してはならないと掲示が出たため、その地に残されたという夢枕ではない神示を受けた珍しい逸話を持ちます。
《鳥居と社号碑》
というから名古屋という地名って字は違えど古くからある地名だったんですね。
《手水舎》
水は流れています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社も創建時は神仏習合によって牛頭天王さまを祀っており、別当として安養寺がありました。織田信秀公の那古野城攻めによって隣にあった若宮八幡社共々焼失しましたが再建されています。八幡神と牛頭天王は織田家においては氏神として高く崇敬されており、信長公も彼らを祀る神社は焼いてはならないと御触れを出していたくらいです。
《絵馬堂?》
《授与所》
東照宮と隣り合ってるので兼務してるのかと思いきや、授与所は別にあるので完全に別の神社です。
《末社群》
《厄除けの公孫樹》
太平洋戦争で焼けましたが新しく生えてきたそうで、銀杏が防火の験担ぎで植えられることが多いです。当社も何度か燃えてますが再建されているためその篤い崇敬心を象徴しているかのようですね。
《福寿稲荷神社》
いつもお世話になっておりまs(🤛
名古屋東照宮のすぐ東に鎮座されています。
鳥居は東向きにに建っているのですが、鳥居をくぐってまっすぐ進むと名古屋東照宮の鳥居(西向き)に繋がっていました。
御祭神は須佐之男神だからなのか、拝殿はとても力強さを感じました。
御祭神
中扉 須佐之男神 櫛稲田姫神
左扉 兵主神
右扉 八柱神
<御由緒>~パンフレットより~
当社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)3月16日に尾張国那古野庄(現在の中区三の丸)の地に勅により鎮祭されたと伝えられている。
当時は天王社と称し、神仏習合により別当として真言宗亀尾山安養寺12坊(首班を天王坊)があった。
天文元年3月、織田信秀が那古野城主今川左馬之助氏豊を攻めた際当社社殿は兵火にかかることとなったが、後に信秀は社領若干を寄せ諸役を免じ、天文7年には社殿は再興された。
時は変わって文禄4年8月3日、豊臣秀吉は改めて社領348石余を寄せる。
徳川の治世となり、慶長15年の徳川家康の名古屋城築城にあたって、当社並びに若宮八幡社は郭内となるため、他地に遷座の際に築城奉行佐久間政実をして御籤をとらせ神慮を伺った。
その際、当社は不遷の御籤のみ再三に及んだため、御城鎮守の神・名古屋産土神として旧知に依然として祭られ、元和元年6月9日国主徳川義直によって改めて社領348石余を寄せ墨印地とした。
末社 福壽稲荷社
この日の移動経路のそばで、立ち寄る時間があったのでお参りしてきました。
直書きで拝受しました。
通常の御朱印です。
社号標と正面の鳥居です。
手水舎の吐水口は龍。
他の神社等と比較して首が長いですね。
拝殿正面と狛犬の様子。
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