せいおんじ|曹洞宗|松峰山
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何年か前に「なごや七福神」を終えたとき、「名古屋七福神」もあることを知り、こちらも達成したいと思い始めましたが、なかなか進んでいません。
今回はたまたま電車で移動していたので東枇杷島で下車し訪問してきました。
駅からは徒歩で5分程度でしたが、無人で本殿はロックアウトされており、お賽銭もあげられませんでしたし、庭木の手入れもあまりされているようには見受けられませんでした。
正直なところ、「名古屋七福神」の一角としては、残念な感じが否めませんでした。






この辺りの地名を「枇杷島」という。このお寺さんが発祥だったんですね。








水盤に御嶽マーク 木曽の御嶽教の開祖である覚明がかつてこの寺で修行したそうな。

御堂


(基本情報)駐車場
境内・文化財
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1179年(治承3年)太政大臣藤原師長は、平清盛により尾張国井戸田(現、瑞穂区)に流されました。
許されて帰路につく際、そこで寵愛した村長の娘が名残惜しんでこの付近まで見送った為、師長は薬師如来と
自分の白菊の琵琶を形見として娘に手渡した。しかし、彼女は悲嘆にくれて「四つの緒の調もたえて三瀬川沈み果てぬと君に伝えよ」
の一種を琵琶の甲に書きつけて池に身を投じた為、人々は池を琵琶池といい、周囲の地名が琵琶島と呼ばれる様になったと
いいます。師長は娘の菩提を弔う為に建立した寺が清音寺の起源と言われる。
寺号はその娘の法号「清音院」に由来する。
1504年〜1521年(永正年中)正眼寺の八世和尚が中興の祖となり、その際に曹洞宗に改宗。
美濃路開設以前は、現在地より600㍍ほど北の枇杷島村の中心部にあった。
木曽の御嶽教の開祖である覚明がかつてこの寺で修行していた事でも知られている。
明治期の俳人で西枇杷島に住んだ大木静処(1828〜1892)による
1893年(明治26年)建立の「海のそら苫屋の露にしつみけり」の塚がある。
| 名称 | 清音寺 |
|---|---|
| 読み方 | せいおんじ |
| 電話番号 | 052-531-5540 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
| 名古屋七福神 第6番 | 仏さま:福禄寿 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
|---|---|
| 山号 | 松峰山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| ご由緒 | 1179年(治承3年)太政大臣藤原師長は、平清盛により尾張国井戸田(現、瑞穂区)に流されました。
|
| 体験 | 札所・七福神巡り |
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