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瑞泉寺ではいただけません
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ずいせんじ|曹洞宗 大本山総持寺の直末龍蟠山

瑞泉寺
愛知県 鳴海駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

その他の巡礼の情報

四国直伝弘法・尾張八十八ヶ所霊場第1番札所
鳴海宿十一ヶ寺霊場第9番札所

瑞泉寺について

「曇華峰(どんげぼう)」の雄大な字体のある山門は中興時に宇治の黄檗宗万福寺の総門を模したといわれる県指定文化財である。法堂の裏に龍王堂があり、蛇にまつわる龍王伝説がある。

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瑞泉寺の基本情報

住所愛知県名古屋市緑区鳴海町相原町4
行き方

名鉄名古屋本線「鳴海」駅から徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称瑞泉寺
読み方ずいせんじ
参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号052-621-0041
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://zuisenji.nagoya/

詳細情報

ご本尊釈迦牟尼仏
山号龍蟠山
宗旨・宗派曹洞宗 大本山総持寺の直末
創建時代応永3年(1396)
開山・開基(開基)安原備中守源宗範 (開山)大徹宗令禅師
文化財

総門(県指定文化財)
宝暦6年(1756)建立
昭和32年(1957)指定

ご由緒

龍蟠山(りゅうばんざん)瑞泉寺は、釈迦牟尼如来を本尊とし曹洞宗大本山総持寺の直末である。
応永三年(1396年)今を去る620余年前、当時、根古屋城主安原備中守源宗範(むねのり)の創建で、総持寺二祖峨山(がさん)禅師の法嗣大徹禅師を請して開山とする。
開基宗範は剃髪(ていはつ:髪を剃ること)して瑞松居士と号し、そのまま「瑞松寺」となりました。
その後70余年を経て、応仁文明の間、兵火に罹り(かかり)、焼失しました。
初め平部(ひらぶ)諏訪山にあったが、七世昌覚和尚代、文亀元年(1501年)現在地に移し、寺号を瑞祥寺と改め、更に、享保年中(1716年)尾張侯瑞松院女君の諱(いみな:真の名前)を避けて「祥」を「泉」と改め、「瑞泉寺」としました。

瑞泉寺 本堂内
かくして歴代住持職はよく山門を護持経営し教化の住に尽瘁(じんすい:全力を尽くすこと)されましたが、中でも二十世、呑舟(どんしゅう)禅師は「中興(再度盛り返すこと)の祖」と仰がれました。鳴海の豪族下郷弥兵衛の援助により、宝暦六年(1756年)には、仏殿山門等18の建物が完成しました。それは真に東海道中の壮観です。

瑞泉寺 山門(愛知県指定文化財)
山門は宇治市の黄檗(おうばく)万福寺総門を模した中国風の形式の門で、愛知県指定の文化財に指定されています。
この山門に掲げられた扁󠄀額(へんがく:平たい額)「曇華峰(どんげぼう)」(山号の別称)は雄渾な(ゆうこん:雄々しくて勢いがいいこと)な文字で呑舟(どんしゅう)禅師の名筆です。
楼上には、十六羅漢像がまつられています。

龍王堂のいわれ
瑞泉寺 龍王堂
瑞泉寺 龍王堂境内に龍神様がまつられています。
寺録によれば、三世却外乗空禅師は、異朝の人(外国の人)でしたが、二世日山良旭禅師の法を嗣いで(ついで)徳望高く、多くの人を教化されました。
その禅師説法の度毎に、かかさずその法座に連なって、熱心に法を聞く女人がいました。
禅師は不思議に思われ、「どなたか?」とたずねられました。
女人は、「私は辱かしいことでありますが、この地に棲む龍王の娘で蛇身であります。どうか禅師により戒法を受けて仏法に帰依し、この苦輪を脱したい。」と、切々の情をのべたので、禅師は不憫に思って、願いにしたがい戒法を授けました。すると、忽ち蛇身を脱して成仏したということです。
そして禅師に告げて言うには「我等、教誡(きょうかい:教えいましめること)を蒙る(こうむる:いただく。たまわる。)、今より以後身を山中に潜め、永く山門の守護神となり、願いにしたがい諸人にご利益を与えん」と言い終えると蛇骨だけを残し、その身を深く山中にかくしたということです。
今この因縁によって山を龍蟠山(りゅうばんざん)と号し、当山鎮守大運威徳龍王と称し、龍王堂にその霊骨が奉祠されております。

総門の額文字
「曇華峰(どんげぼう)」
曇華(優曇華、うどんげ)は、三千年に一度だけ花が咲くといわれる伝説の樹である。
仏道を志し、正しい仏法に出会う時には、あらゆるものが優曇華として花開くという意味がある。

体験御朱印札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
瑞泉寺(ずいせんじ)は、愛知県名古屋市緑区鳴海町相原町4にある曹洞宗の寺院。
歴史
歴史[編集] 応永3年(1396年)、根古屋城主の安原宗範(備中守)が創建し、總持寺二祖峨山韶碩禅師の法嗣大徹禅師を開山としている[1]。宗範は剃髪して法名を瑞松居士とし、当初は瑞松寺と呼ばれていた[1]。応仁・文明年間には兵火で焼失した。 文亀元年(1501年)には現在地に移転し、寺号を瑞祥寺とした[1]。正徳年間(1711年~1716年)、尾張侯瑞松院女君の諱を避けて現在の瑞泉寺に改称した[2]。宝暦6年(1756年)、鳴海の豪族である下郷弥兵衛のサポを受け、仏殿や総門など18の建物からなる堂宇が完成した[2]。 ^ a b c 引用エラー: 無効な タグです。「ガイ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報瑞泉寺 (名古屋市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%91%9E%E6%B3%89%E5%AF%BA%20%28%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%29&oldid=96121531

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