御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
【スペシャル御朱印検索】無料お試し有り
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印切り絵大バナー2025年3月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印切り絵大バナー2025年3月
鹿島神社(葛生町)ではいただけません
広告

かしまじんじゃ

鹿島神社(葛生町)
栃木県 葛生駅

パーキング
駐車場
あり

境内にとめられるスペースあり

御朱印について御朱印
-
ありません

鹿島神社(葛生町)について

延曆八年(789年)、坂上田村麻呂による創建と伝わる非常な古社。
かつてはもっと山奥にあったらしく、また非常に霊験あらたかで、山向こうの栃木市梅沢町以北も含めた十八ヶ村の鎮守だった。
洪水で流された時に、流れ着いた岩窟から大蛇が這い出したとの伝説が伝わる。

名称鹿島神社(葛生町)
読み方かしまじんじゃ
通称鹿島様
トイレなし
御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》武甕槌神
《境内社》八坂神社・八幡神社・木市大神・菅原大神
創建時代延暦八年(789年)
創始者坂上田村麻呂
ご由緒

社殿によれば、桓武天皇の御代 延曆八年(789)四月、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、天下太平祈願のため山本里の北山奥に建立し鹿島大神と称す。
霊験あらたかだったため、葛生・梅沢(現栃木市)以北の山中十八ヶ村の鎭守となる。
治承元年(1177)の夏、大嵐で大洪水になり流失、
この時400mほど流された先の岩窟から大蛇が抜け出て泳いだと伝わる。神殿の流れ着いた所を「宮澤」といい、大蛇の抜穴をも残っているという(場所不明)
文治年間(1185~1190)源頼朝が鎌倉幕府を開いた時、十八ヶ村の氏子祭礼の式における座次を巡って紛糾し、神霊を各村に分祀し神官も村ごとに置かれたという。しかし当社への信仰と権威は衰えず、各村に影響を及ぼし続けた。
弘長年間(1261~1264)右大臣 南家藤原良定二十一代の裔次郎太夫吉政なる者がこの地に来て、一村落を開き自ら神主となる。多くの樫を植えたため「村樫」を氏となす。その四人の子も各地に散らばり同じく神主となり各々氏を改めて持田・村樫・矢部・林の四氏となる。大祖吉政より明治年間の榮次に至るまで二十八代、代々当社に奉祀す。 
中世は佐野家の崇敬社となり六十三石の神領を奉ぜられ、江戸時代以降も常に時の領主に崇敬された。
明治五年の改正に際し、氏子一同相談のうえ葛生町の中央、字泉町の西に新たに社殿を建て鹿島神社と改称し村社に定められた。
本社は鳥居の所に老杉が二株ありこれを注連曳杉と呼ぶ。毎年祭礼の時には注連縄をこの杉に張って祭るのが習わしとなっている。

体験武将・サムライ伝説
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ