おこっぺじんじゃ
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御礼参拝旅行⑦この地は、良く父や友達と御飯を食べたり釣をして、楽しませてくれた場所です、道の駅が古くから有りますね😊今回参拝旅最後に選びました🤔そして無事参拝旅行を、出来たお礼と感謝を兼ねお参りしました🙏、宮司さんは、雄武神社さん兼務です、拝殿に書置き御朱印は有りますが、先に宮司さんが直書きしてくださいました😌有難い事です🙇神社は街外れの国道横の丘の上に鎮座されてます😌拝殿も全て歴史を感じ、また自然に溶け込んだ様な、気にさせてくださる場所でした、参拝旅行最後に選び正解でしたよ~🙆

直書き御朱印です

石で出来た鳥居

神社由来

参道と社内

手水舎、使えないので、心でお清め

古い由来書きです

石段と拝殿

拝殿、年月を感じますね、でも私は好きです😍

拝殿場所と御賽銭箱、おみくじ箱上にプラケースに、御朱印が入ってますよ

拝殿内🙏

拝殿より参道を撮影、自然と一体感が有ります🙏
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
本町開拓の草創である明治32年9月、住民の総意を結集し、富山県移住団体長堺井常右衛門らが発起人となり、興部原野(北興)に小祠を建立し、天照大神を奉斎したのが創祀とされている。その後社殿を市街地に移転することとなり、大正初期、現在の緑ヶ丘の土木現業所附近の丘に社殿を新築し4ヶ年間祭典を執行した。その後大正4年現在の幸町国道の跨線橋下附近に社殿を移し、大正8年現在地の宮下町宮ヶ丘に移転した。昭和5年神殿1棟を新築し参道も山側より市街側に新設し同年札幌神社の御分霊を奉斎した。その後米田千松ほか204名が連署の上神社創立を出願、昭和10年6月18日承認された。昭和14年2月、紀元二千六百年記念事業として改築を決定し、総工費1万8千円で旭川市の平山久造に工事を依頼し、昭和15年10月9日竣工した。同年9月村社に列格、続いて同年10月神饌幣帛供進指定神社となった。
歴史をもっと見る|写真












興部神社の基本情報
| 住所 | 北海道紋別郡興部町字興部1066 |
|---|---|
| 行き方 | オホーツク紋別空港から車で 35分33Km
|
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| 名称 | 興部神社 |
|---|---|
| 読み方 | おこっぺじんじゃ |
| トイレ | 参道横にあります |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0158-84-2656 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://hokkaidojinjacho.jp/%E8%88%88%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》大国魂大神,大己貴大神,少彦名大神 |
|---|---|
| 創建時代 | 1899年(明治32年) |
| 創始者 | 堺井常右衛門ら |
| 本殿 | 神明造 |
| ご由緒 | 本町開拓の草創である明治32年9月、住民の総意を結集し、富山県移住団体長堺井常右衛門らが発起人となり、興部原野(北興)に小祠を建立し、天照大神を奉斎したのが創祀とされている。その後社殿を市街地に移転することとなり、大正初期、現在の緑ヶ丘の土木現業所附近の丘に社殿を新築し4ヶ年間祭典を執行した。その後大正4年現在の幸町国道の跨線橋下附近に社殿を移し、大正8年現在地の宮下町宮ヶ丘に移転した。昭和5年神殿1棟を新築し参道も山側より市街側に新設し同年札幌神社の御分霊を奉斎した。その後米田千松ほか204名が連署の上神社創立を出願、昭和10年6月18日承認された。昭和14年2月、紀元二千六百年記念事業として改築を決定し、総工費1万8千円で旭川市の平山久造に工事を依頼し、昭和15年10月9日竣工した。同年9月村社に列格、続いて同年10月神饌幣帛供進指定神社となった。 |
| ご利益 | 病気平癒 |
| 体験 | おみくじ絵馬御朱印 |
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