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おほふらじんじゃ

意冨布良神社
滋賀県 木ノ本駅

パーキング
駐車場
あり

鳥居横に駐車スペースあり

御朱印について御朱印
-
ありません

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花散里
花散里
2025年12月19日(金) 21時22分24秒
832投稿

秋の滋賀・ご褒美1人旅⑬
今回の楽しい旅はコチラとお隣の田神山観音寺さんでおしまいです。
2泊3日足の爪をドドメ色にしながらも無事に各々参拝することができ、最盛期の紅葉🍁を愛でることができました。
感謝しながら、最後の最後にまた素晴らしい紅葉に出会えました。

意冨布良神社(滋賀県)

木之本地蔵尊の裏、民家の間を抜けてゆくと、立派な鳥居がありました。

意冨布良神社(滋賀県)

おほふらじんじゃ様
最初、なんて読むのか分からなかった😅

意冨布良神社(滋賀県)

御由緒
草創はなんと飛鳥時代❣️
その後、木曾義仲〜豊臣秀頼〜井伊玄蕃頭と
錚々たる人々の崇敬を集めていたようです。

意冨布良神社(滋賀県)

よく来たね〜〜
ウチの紅葉🍁、ゆっくり見ていきなよ。

意冨布良神社(滋賀県)

そうよ。
鶏足寺より見事だって、地元じゃみんなそういってるワヨ。

意冨布良神社(滋賀県)

あ〜、たしかに

意冨布良神社(滋賀県)

すばらしい紅葉だぁ🍁

意冨布良神社(滋賀県)

青空ものぞいて

意冨布良神社(滋賀県)

トッテモいい感じ😍

意冨布良神社(滋賀県)

花手水の中に…

意冨布良神社(滋賀県)

可愛いコ、いた🩷

意冨布良神社(滋賀県)

こりゃ湖東三山にも負けてないね。あざやかな紅葉だなぁ

意冨布良神社(滋賀県)

古そうな時計塔がある

意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)

また狛犬さん、おる

意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)

御拝殿

意冨布良神社(滋賀県)
意冨布良神社(滋賀県)

境内にたくさん摂社があり。
こちらは田上山天満宮
他にも豊栄神社 稲荷社、秋葉神社…などなど
チョットどれがどれだか、正確に分かんないっす🙇‍♀️

意冨布良神社(滋賀県)

天満宮の狛犬さん

意冨布良神社(滋賀県)

スフィンクス風のユニークなヘアスタイル💡

意冨布良神社(滋賀県)

菅原道真さん
紅葉🍁がお似合いです。

意冨布良神社(滋賀県)

紅葉の下が秋葉神社

意冨布良神社(滋賀県)

天満宮と秋葉神社

意冨布良神社(滋賀県)

お稲荷さんは天満宮の右隣り

意冨布良神社(滋賀県)
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意冨布良神社の基本情報

住所

滋賀県長浜市木之本町木之本488

行き方

JR「木ノ本駅」より徒歩10分

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名称

意冨布良神社

読み方

おほふらじんじゃ

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ授与所横にあり
電話番号0749-82-3990
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬

あり

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 建速須佐之男命
 大穴牟遅神(蟻通神社)
 猿田彦大神(神前神社)
 八意思兼神(乃彌神社)
 梨迹臣命(乃彌神社)
《配祀神》
 菅原道真公
 天照皇大神
 倉稲魂神
ご神体

大洞山

創建時代

白鳳四年(676)

本殿

一間社流造

ご由緒

当社の草創は、飛鳥白鳳期にして、大洞山の霊峰を、背にし、天武天皇白鳳4年現在地に祀られる。
延喜式制定の時神名帳に、大社なりしが、姉川合戦賤獄合戦に文献等殆んど焼失する。
考証するところ隣の田部村、村内の往還道路に鳥居ありて、旅人馬乗して通る時は、
必らず落馬したと伝えられている。こうした崇りのため恐れて、取除き大洞山で煙埋したと、
今に伝えられている。慶長7年8月、小堀新助が奉行となり、当社を、検地した時、
当社周辺を「おほふら」と呼び「王布良」と記している。
こうした所から古の神社名を「王布良天王社」とも呼ばれていた。
 寿永2年5月木曽義仲北国より京へ、出軍の時祈願した其の時兜を置いた石「兜石」が今尚残っている。
観応3年8月足利将軍八相山合戦の時、陣を取り加護を祈ったという。
当地は、室町時代以降枢要の地にして、武門武将の往来繁く、湖北の将佐々木、
又京極に属せし武将井口弾正正氏厚く当社を尊敬し大般若経を寄進されている。
応安6年僧寛順願主井口弾正源正氏と銘記あり。足利時代以降地方武家の尊崇も厚く国守京極宗意入道は、
上京中江北敗軍の時甲冑を解き、当明神に納め開運を祈り飯浦越にて発れ後、開運ありて再び参詣し、
太刀一振を報賽したが、元亀天正の兵禍のため何れも焼せり。
元禄10年の記録によれば当山の中腹に、神前神社(猿田彦命)乃禰神社(八意思兼神)蟻通神社(大穴牟運神)の3社があり総称して「神宮」「上の宮」と呼んでいた。
延喜式神名下に列挙されている天正の頃朝倉義景此処に陣を構え「田神城」と、言い
織田信長に攻落され其の時三社も兵火にあったが御神像は、安泰で今の社に合祀した。
今相殿に鎮座されている。大正10年延喜時代の様式であると、美術鑑査状をうけている。
明治初年王布良天王とよび明治6年意冨布良神社と改称した。
明治18年郷社に大正14年県社に昇格、この記念に社務所が大改築された。

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