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楽しみ方大嶋神社奥津嶋神社のお参りの記録一覧
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集落の氏子総代の方と若宮神社で出会ってこの神社がもうすぐ1900年祭だと聞いて来ました。
1900年も前から続く神社なんて、そうそうないです。
そしたらお参りが終わった後に、若宮神社の清掃が終わった総代さんもこちらに来てくれました。
神社名が2つある理由を聞いたところ、本殿の中の方を見ると右側と左側に階段があり、左側の階段の上には大嶋神社、右側の階段の上には奥津嶋神社のご神体があるのだと教えて頂きました。
またこの集落には以下のような逸話が残っているそうです。
天智天皇が来た時に、年を取っている村人もみんな元気なので、不思議に思ってなぜかと聞くと、毎年この実を食べているからですと、村人はアケビのような木の実を見せました。
天皇は納得して「むべなるかな(なるほど)。」と言ったため、この木の実の事を「むべ」と言うようになり、毎年むべの実を献上するようにと命じられました。
そして現在でもこの地のむべの実を皇室に献上しているのだそうです。
総代の方の話を聞くのは本当に興味深いものです。出会いに感謝です。


【近江國 式内社巡り】
大嶋神社・奥津島神社(おおしま~・おくつしま~)は、滋賀県近江八幡市北津田町にある神社。大嶋神社と奥津島神社はともに式内社で、旧社格は県社。祭神は大嶋神社が大国主神、奥津島神社が奥津島比売命。木造大国主座像等が国指定の重要文化財。
社伝によると、第13代成務天皇が滋賀高穴穂宮に即位の際(131年)、武内宿禰に勅して勧請したのが始まり。天智天皇が大津宮にて治世の折(668年)、皇后の病気平癒を祈願すると平癒し、その後祈願所となった。平安時代には『日本三代実録』864年条に当社神宮寺の阿弥陀寺開基に関する記述がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 蒲生郡 大島神社 小」、「近江國 蒲生郡 奥津島神社 名神大」にそれぞれ比定されている。両社はもともと別の場所に鎮座していたが、室町時代の1361年以前に同地に鎮座された。往時は蒲生郡北部一帯の産土神として斎祀されていた。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・近江八幡駅の北北西6kmの田園地帯の外れ、琵琶湖東岸の津田山(標高424m)の東麓にある。広々とした境内は木々が間引いてあって明るく、南側に大きな池がある。社殿(拝殿と本殿)は瑞垣で全体を囲われていて、その外側に拝所がある造り。瑞垣内には社殿の左右両側に境内社がある。地域に根付いた神社のようで、東側入口も西側入口も同じぐらい大きく、どちらからでも入りやすい。
今回は、近江國の式内社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
※ネットの情報だと、宮司さん宅にて御朱印を拝受できるとのことだったが、参拝当日は社務所裏の大きな建物の中で集会が開かれており、宮司さん宅は不在であったため、御朱印は拝受できず。残念...涙
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#大嶋神社
ご祭神はオオクニヌシの命。
奥津嶋神社
ご祭神はオクツシマヒメの命。
#奥津嶋比賣命
古事記では多紀理毘売命または奥津島比売命、日本書紀では田心姫、先代旧事本紀では瀛津島姫命など。アマテラス大御神とスサノオの命による”うけい”で、スサノオの命が持っていた剣から生まれた3柱の女神、すなわち宗像三女神の1柱。古事記・日本書紀とも3姉妹の1番目とする。
大嶋神社のオオクニヌシの命とは夫婦にあたる。
古事記によれば2柱の間には御子もいて、アジスキタカヒコネの神、シタテルヒメの命という。日光二荒山神社(栃木県日光市)は、オオナムチの命、タゴリヒメの命、アジスキタカヒコネの命の3座を祀る。シタテルヒメの命は、比賣許曽神社(大阪市東成区)のご祭神。
滋賀県のおすすめ2選🎌
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