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おおくらじんじゃ

大蔵神社のお参りの記録一覧
埼玉県 武蔵嵐山駅

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ひなぎく
ひなぎく
2026年03月20日(金)916投稿

大蔵神社は、平安時代末期、源氏の棟梁源為義の次男である源義賢(木曽義仲の父)が館を構えていたと伝わる地『大蔵館跡』に鎮座しています。

源義賢公は上野国多胡を本拠としましたが、武蔵国の最大勢力である秩父重隆と結んで、その娘をめとります。仁平3年(1153)に当地に移ると、上野・武蔵両国にまたがり勢力を伸ばしました。しかし、これが兄の源義朝の勢力と衝突するところとなり、久寿2年(1155)甥の悪源太義平に館を襲撃され大蔵合戦におよび、重隆ともども討たれました。

義賢公の次子で当時2歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられました。これが後の旭将軍木曽義仲になります。

当社のご祭神は大山咋命様。
別当の安養寺が天台宗であることから、比叡山延暦寺の守護神である日吉山王権現を寺の草創と同じ頃に勧請したと考えられています。
また、口碑では、義賢公が大蔵館を新築後に武神として尊崇していた日吉山王権現を勧請したとも伝えられますが、勧請年代と居城年代が合わないそうです。

大正7年に字宮之裡という場所から大蔵館跡地に移り、山王社から現社号に改めたといいます。
境内地はもとは末社の稲荷神社の社地になり、大蔵神社が移転する前から大蔵館跡に鎮座していたので、末社でありながら立派な社殿を構えています。

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大蔵神社入口

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『史蹟 大蔵館趾』

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タケ
タケ
2023年03月12日(日)491投稿

★鎌倉街道上道散策(嵐山町)2
【散策ルート】
①大行院神明殿〜②源義仲公生誕伝承地〜③源義賢墓〜④大蔵館跡〜⑤大蔵神社〜⑥鎌形八幡神社〜⑦班渓寺〜⑧菅谷館跡〜⑨菅谷神社

④大蔵館跡
 仁平3年(1153)に義仲の父義賢が秩父重隆の娘をめとり、移り住んだ館跡とされます。義賢は源為義の次男として生まれ、近衛天皇が皇太子のときに東宮警護の長官である帯刀先生(たちはきせんじょう)を務めました。しかし、部下の不始末によって職を追われ、北陸から上野国とまわり武蔵国へと来ました。

『大蔵合戦』
 大蔵合戦は、久寿2年(1155年)8月16日、平安時代末期に武蔵国で義平が義賢の拠点であった大蔵館を襲撃し、義賢と秩父重隆を攻め殺した戦い。
 当時武蔵国内で大きな力を持っていた秩父氏と義賢が結んだことによって、義賢の力が関東で増大することを恐れた兄義朝(勢力圏は南関東)は、義平(実子)に館を攻め込ませて義賢を討つという戦い大蔵が起こりました。このとき駒王丸(後の義仲)は木曽の地へと逃れています。秩父氏の家督争いに源氏内部の同族争いが結びついたものである。保元の乱の前哨戦ともされる。

⑤大蔵神社
 大蔵神社は、比企郡嵐山町大蔵にある神社です。祭神は大山咋命。大蔵神社の創建年代等は不詳ながら、源義賢の居館跡にあたり、源義賢が天養元年(1144)に勧請したとも伝えられ、また応永元年(1394)に草創した天台宗安養寺が日吉大社を勧請したとも伝えられ、山王社と称して字宮ノ裡に鎮座していました。江戸期には大蔵の鎮守として祀られ、江戸幕府より社領10石の御朱印状を慶安年間に受領していました。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治42年以降地内の諸社を合祀、大正7年、稲荷社が鎮座していた御所ヶ谷戸へ遷座しています。なおこの一帯は源義賢の大蔵館跡とされ、埼玉県史跡に指定されています。境内社は山王大権現、八坂神社、富士浅間神社があります。祭日は春祭り4月14日、天王様7月20日前後の日曜、諏訪祭8月31日/9月1日、秋祭り10月21日

 源氏家系では身内の確執が強く、悲劇を招いています。身内の力を警戒し骨肉の争いを繰り返した結果、一族を歴史の表舞台から下ろしてしました。為義と義朝(親子)、義朝と義賢(兄弟)、頼朝と範頼 義経 (兄弟)義仲(従兄弟)、公暁と実朝(従兄弟)、足利尊氏と直義(兄弟)
新田義貞(一門)等々

大蔵神社(埼玉県)

④大蔵館跡 標石柱

大蔵神社(埼玉県)

④大蔵館跡 標柱

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