てしおいつくしまじんじゃ
天塩厳島神社北海道 安牛駅
参拝:24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 社務所前 3台ほど |
前回は磯谷郡蘭越町にある目名八幡神社に行ってお参りをしました
ん?蘭越町から今度は道北地方の天塩町に・・・??
なんて思いますね。実は前回までの遠征で本当は7連休だったのですが、職場の同僚たちがどうしても
休みが欲しい!と駄々をこねるので、私の連休は前半4連休と後半3連休に分断され
その間は2日だけ仕事をしました
後半の連休はどこに行くか・・・んー、アレがあるな
と、今度は北に向かうことにしました
行き着いたのは家から約170キロほど離れた天塩町にある天塩厳島神社です
ナビで案内された通り社務所前に行き着いたのですが、1の鳥居は天塩いつくしま公園の
隣りにあったので、社務所から歩いて1の鳥居まで戻ってから散策開始です
社務所の隣りにある2の鳥居まで結構歩きました
ここで本殿に行ってお参りを・・・と、写真を撮った右側には
稲荷神社があるので、まずはそこでお参りです
そして、振り返ると反対側には
金昆羅神社もあるので、今度はそこでお参りです
このあとは本殿前に行ってお参りをするのですが
力を入れて開けてくださいと書かれた案内があって、右手で扉を開けようとしたのですが
ビクともせず、両手で力一杯引いたら扉はなんとか開きました
ここでお参りを済ませてから社務所に行って御朱印を・・・と思ったのですが、社務所の玄関は
鍵が掛かっていてお留守の感じ・・・? ではありませんでした
こんな時に他の方は個人宅に行って御朱印をお願いするものでしょうか?
私は考えた末に個人宅にまでは行かずに、また次回の楽しみにと神社をあとにしました
留萌管内の北の端、天塩厳島神社を目指しました。
GoogleMapの案内では、拝殿の近くにある社務所の方へと導かれます。
しかしそれでは天塩厳島神社の特徴を楽しめませんので、天塩いつくしま公園の駐車場に車を停めました。
天塩厳島神社には以前留萌に住んでいた時に参拝したことがあります。
あれから何年経っているでしょうか。
この駐車場に隣接して、一の鳥居があります。
ここから拝殿までまっすぐ参道が延びていますが、その長さと途中の林のため、拝殿はほとんど見えません。
この参道をゆっくり歩いていきます。
林を抜けると二の鳥居が現れました。
右側には稲荷神社があります。
稲荷神社の鳥居の手前には神狐がありますが、風化の具合からかなり古そうなものに思えます。
左側には金毘羅神社があります。
二の鳥居をくぐって拝殿に向かって進んでいくと、右側には太平山三吉神社碑がありました。
拝殿の手前には2組の狛犬があります。
手前の狛犬も歴史がありそうですが、その先にある小さな狛犬はさらに古そうに見えます。
以前、天塩町の方から、天塩厳島神社には北海道で一番古い狛犬があると伺ったことがありました。
このいずれかのことかと思うのですが、どれも奉納年がわかりませんでした。
拝殿の戸を開けて参拝をしてから社務所に向かいました。
しかしながら残念なことに社務所は不在のようで、鍵がかかっていました。
宮司さんがおられれば狛犬のこともお伺いしたいと思っていたのですが、残念でした。
天塩厳島神社は文化元年9月1日(1804)紀伊国有田郡栖原村出身栖原角兵衛が水戸藩のサケ・マス漁場経営のために天塩川河岸に運上所を開設する際、守護神として「市杵島姫命」の御分霊を迎えたと伝えられる。明治9年村社と公称し、明治43年社殿を川口基線に建立、同年7月16日に遷座祭を執行した。大正14年12月本殿造営起工。翌15年6月完成。昭和2年9月9日に内務省令をもって郷社の社格に列せられ、さらに昭和15年春拝殿を改築し参道両側に神灯1対を設けた。文化元年当時西エゾ領はまだ松前藩領で水戸藩の領地支配になったのは明治2年8月から2年間だけである。天塩領は松前藩の家老職の家柄である松前内記の知行地で栖原屋は歴代その場所請負人だった。文化元年の天塩場所は6代目角兵衛の支配人栖原彦兵衛の請負で同人が配下に命じてこれを祀ったものであり水戸藩の運上屋とするのは誤りである。
名称 | 天塩厳島神社 |
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読み方 | てしおいつくしまじんじゃ |
通称 | 弁財天さん |
参拝時間 | 参拝:24時間 |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 01632-2-1036 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》市岐島姫命 |
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本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 天塩厳島神社は文化元年9月1日(1804)紀伊国有田郡栖原村出身栖原角兵衛が水戸藩のサケ・マス漁場経営のために天塩川河岸に運上所を開設する際、守護神として「市杵島姫命」の御分霊を迎えたと伝えられる。明治9年村社と公称し、明治43年社殿を川口基線に建立、同年7月16日に遷座祭を執行した。大正14年12月本殿造営起工。翌15年6月完成。昭和2年9月9日に内務省令をもって郷社の社格に列せられ、さらに昭和15年春拝殿を改築し参道両側に神灯1対を設けた。文化元年当時西エゾ領はまだ松前藩領で水戸藩の領地支配になったのは明治2年8月から2年間だけである。天塩領は松前藩の家老職の家柄である松前内記の知行地で栖原屋は歴代その場所請負人だった。文化元年の天塩場所は6代目角兵衛の支配人栖原彦兵衛の請負で同人が配下に命じてこれを祀ったものであり水戸藩の運上屋とするのは誤りである。 |
体験 | おみくじ御朱印 |
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