あしみだじんじゃ
足見田神社三重県 湯の山温泉駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり(宮司宅前に10台ほど駐車可能) |
🌼足見田神社(あしみだじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏 🌸当神社は延喜式内社で当社旧記によれば垂仁天皇二六年鎮座と伝えられ、大正期の神社明細帳には雄略天皇二一年の鎮座とも記してあります。🍁これら創祀の年代は伊勢神宮の鎮座と同年とすることは、『神鳳鈔』に「足見田社 神田三反」とする、神宮との深い関わりによるものと考えられます。☘️社名は『倭名鈔』にいう「葦田安之美多」郷に由来する名称であり、この郷名「葦田」は本来当社域東の「オシミ田」の転訛によるという伝もあるが、『勢陽五鈴遺響』は 本邑水沢ノ名二拠テ考ルニ、三重鈴鹿ノ郡界二居テ水沢川或高岡川ノ水源或菰野川各区流ノ中間ニアリテ渓河渠多ク真二地名二応セリ」としています。🌺古く「俗八郷明神又夜後明神」と称されたのは、「葦見田八郷大明神ノ意義ナリ」(「三重県神社誌」三重郡の部稿本)と伝えられています。🌸江戸時代、農業用水工事をかけて、隣村との争いが起きた時に、水沢村の『辻 久善(つじ きゅうぜん)』という名主が、私財を投じて一人で江戸に行き、用水工事をやり遂げるよう数年にわたって幕府の役人を説得し、ようやく瀬戸用水を完成したのだったと伝えられています。🌼久善が亡くなってから、村民はこの功績をたたえて、当時足見田神社の南側にお祀りされていた《諏訪社》という小さな神社で、1720年頃、礼おどりを奉納したのをきっかけに『諏訪おどり』が始まったそうです。☘️この諏訪社が明治に入って足見田神社に合祀(多くの神様を一つの神社に合わせてお祀りすること)されたため、今では足見田神社の『水まつり』の時に、昔ながらの浴衣に花笠を被って、毎年7月31日にお諏訪おどりが奉納されています。
👣所在地 : 三重県四日市市水沢町708
🌷 『やさい懐石+カフェ はなもも』四日市市水沢町の広々とした茶畑の中に、静かに佇んだ所にお店があります。ただただ丁寧に、大切に、大地の恵みを女店主1人でお料理されています。かなり素敵な時間が過ごせました。食事もワクワクしました。完全予約制、靴を脱いであがるお店で、大きなテーブルでゆったり食事ができます。入れ替え制なので1時間半で退席しなければいけませんが、このご時世、ダラダラと長居せず丁度良いと思います。お食事はコースを肉、魚、野菜で選択したものが出されます。前菜からすべて心のこもった素敵な盛り付け、味も優しくとても美味しかったです🌷
金目鯛の煮付け 『やさい懐石+カフェ はなもも』
御朱印 足見田神社(あしみだじんじゃ)⛩️
足見田神社(あしみだじんじゃ)⛩️
足見田神社(あしみだじんじゃ)⛩️
『やさい懐石+カフェ はなもも』 広々とした茶畑の中に
静かに佇んだ所にお店があります
お肉の懐石料理 『やさい懐石+カフェ はなもも』
懐石料理 『やさい懐石+カフェ はなもも』
伊勢国三重郡の式内社です。丹後地方から移住してきた葦田首の一族が祖神である天目一箇神さまを「神石明神」として滋賀と三重の県境にある鎌ヶ岳祀って創建されました。江戸時代になっても武士による崇敬が篤く、明治の神社合祀政策の際に周辺の小さな神社が数多く当社に合祀されました。
《一の鳥居》
《社号碑》
《ニノ鳥居》
どちらも伊勢鳥居ですね。
《手水舎》
綺麗な水が流れていました。
《表参道》
右側に宮司さんとお宅があり、上にある授与所と繋がっています。
ちなみに当地で日本武尊さまがいらして、「吾が足は三重にまがり如くしていとつかれたり(直訳:足めっちゃ曲がりそうなくらい疲れた)」と言ったことが三重郡の由来となり、現在の三重県の地名の元となりました。
《由緒書き》
前述した通り天目一箇神さまを祀ったとされていますが、途中で「弥護大明神」として合祀した神様が現在の主祭神となっています。天目一箇神さまはまだ鎌ヶ岳に…?
あ、でも合祀神一覧にいらっしゃるな…メインだったのにサブになってしまっている…!
《拝殿》
後ほど宮司さん宅に御朱印をいただきに伺ったところ神主さんが狩衣を着ており、祈祷終わらかと思ったらこれからご祈祷が入っていたとのことでした。七五三のシーズンですね。
《手水舎》
扁額を見ると正一位の神階を授かっていたようです。
《屈み鳥居》
願いを込めながらくぐるそうです。
《童子池》
👁チェックポイント‼️
当社の鎮座する水沢は名前の割に昔は水不足に悩まされ、村民たちは水を争っていざこざが多かったそうです。そんな中この池の辺りに童子が現れ「水害も日照りもない米がよく取れる村になる」と預言し、その後名主によって用水整備ができるなど大きく発展しました。
現在も合祀した諏訪神社で行われていた雨乞いの神事である「お諏訪おどり」が行われます。
…というか三重も水不足が悩みの地域あるんですね。そりゃそうか案外広いしなぁ。
名称 | 足見田神社 |
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読み方 | あしみだじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 059-329-2170 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 志那都比古命 志那都比売命 瀬織津比咩命 宇加之御魂神 《合祀神》 大穴牟遅命 神日本磐余毘古命 品陀和気命 大日孁命 天児屋根命 大山祇命 天穂日命 武御名方命 須佐之男命 加具土命 素盞烏命 天目一箇命 天白羽命 五男三女神 別雷命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 垂仁天皇二十六年 |
創始者 | 葦田首 |
本殿 | 神明造 |
文化財 | お諏訪おどり(市指定無形文化財) |
ご由緒 | 延喜式内社。当社旧記によれば垂仁天皇二六年鎮座と伝える。又、大正期の神社明細帳には雄略天皇二一年の鎮座とも記す。これら創祀の年代は伊勢神宮の鎮座と同年とすることは、『神鳳鈔』に「足見田社 神田三反」とする、神宮との深い関わりによるものと考えられる。社名は『倭名鈔』にいう「葦田安之美多」郷に由来する名称である。この郷名「葦田」は本来当社域東の「オシミ田」の転訛によるという伝もあるが、『勢陽五鈴遺響』は 本邑水沢ノ名二拠テ考ルニ、三重鈴鹿ノ郡界二居テ水沢川或高岡川ノ水源或菰野川各区流ノ中間ニアリテ渓河渠多ク真二地名二応セリ」としている。又、古く「俗八郷明神又夜後明神」と称されたのは、「葦見田八郷大明神ノ意義ナリ」(「三重県神社誌」三重郡の部稿本)と伝えられている。【特殊神事 お諏訪おどり】 江戸時代、農業用水工事をかけて、隣村との争いが起きた時に、水沢村の『辻 久善(つじ きゅうぜん)』という名主が、私財を投じて一人で江戸に行き、用水工事をやり遂げるよう数年にわたって幕府の役人を説得し、ようやく瀬戸用水を完成したのだった。久善が亡くなってから、村民はこの功績をたたえて、当時足見田神社の南側にお祀りされていた《諏訪社》という小さな神社で、1720年頃、礼おどりを奉納したのをきっかけに『諏訪おどり』が始まったのである。この諏訪社が明治に入って足見田神社に合祀(多くの神様を一つの神社に合わせてお祀りすること)されたため、今では足見田神社の『水まつり』の時に、昔ながらの浴衣に花笠を被って、毎年7月31日にお諏訪おどりが奉納されている。 |
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