あかぎじんじゃ
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赤城神社 (勧農城跡)について
足利長尾氏が織姫神社裏の両崖山城を築く以前に居城としていた、勧農城という中世平山城跡に立つ神社
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神社も拝んでいこうと思い、近くて遠いこちらの神社に行ってみることにしました。
なぜ「近くて遠い」かと言うと、ご覧のように家から目と鼻の先に見えてるんですが、間に渡良瀬川があるので大きく橋を迂回しなければ行けないため
直線距離ならおそらく500m以下ですが、実距離は2kmくらいあります(*_*;
岩井山という川の土手の中という不思議な立地の丘に立つ神社です。
ここは勧農城という城跡でもあり、足利長尾氏が織姫神社裏に両崖山城を建てる前に居城としていた中世平山城
実はここに来るのは2回目で、何年も前に1度来たことがあります・・・夜に(ーー;)
当時は寺社にまだ興味がなく心霊スポットとして来たりして(^^;
城跡ということで室町時代に古河公方と山内上杉氏の間で幾多の戦いがあり、またキャスリーン台風被害の時に地形の関係から多数の死者が流れ着いた場所だそうで・・・((( ;゚Д゚)))
ちなみにその時は自分は何も感じなかったのですが、帰りの車中で友人が一言・・・
なぁ、上じゃお前が怖がると思って言わなかったんだが・・・なんか藪の中を人が何人も走ってるような音が聞こえなかったか・・・
バカやめろ!(;´Д⊂)
そういえば、今日も帰りに麓の岩井町を通ったら、何か地元の方がよそ者を警戒するような目をこちらに向けてた気が・・・((( ;゚Д゚)))
なんてことはなく、にこやかに散歩するお爺さんと、こちらに無関心なお婆さんに会っただけでしたw
しかしここ、適度な規模といい、ビジュアルといい、隔絶感といい、SIRENや零のようやホラーゲームの舞台にするにはうってつけではないかと。
どこかのゲームデザイナーさんが北関東のインスマスとして目を付けてくれないかなw
家の近くから撮影
ご覧のとおり土手のすぐ向こうにある岩井山という丘にあるですが直接行けず(><)
右は巌勝寺というお寺ですが残念ながら御朱印なしw
渡良瀬川の土手の中の浮島みたいな所にあって、まず写真に写ってる橋のもう一本先にある橋を渡って一旦渡良瀬川北岸に渡り、次に写真の橋を渡らければ来れないという面倒な場所(;´Д`)
驚くべきことに川の中に岩井町というちょっとした集落あり
元は渡良瀬川北岸の足利市街地と繋がってたのですが、キャスリーン台風の大被害を受けたあと岩井山北側を放水路にしたため、木曽川・長良川辺りにある輪中のような形で土手の中に取り残されてしまったそうです
北側から見た岩井山
足利長尾氏が、織姫山に両崖山城を築く前に居城としてた、勧農城という城跡でもあります
頭上注意?
白飛びしてる張り紙を見たところ、階段上にある木がいつ倒れてもおかしくない状態になってるとか((( ;゚Д゚)))
階段を上がったところに鳥居
あまり人も来ないと思うのて落ち葉が積もってますが、不思議と参道だけは埋もれてませんでした
一本見事に色付いた紅葉あり
ここに紅葉見に来る人もいないと思うので、この紅葉は今年は自分だけが一人占めした気分にw(*´艸`)
社殿
主宰神は磐筒夫妻
社殿内、実際は真っ暗
しかし祭壇にだけ光が当たって、暗闇の中に金幣が燦然と輝くような演出になっててなかなか神秘的
御札も祀られてすが、どうも磐筒夫妻ではなく普通に天照皇大神宮の神宮大麻のようでした
この岩井山中にはもう一つ乳房地蔵尊というセクシーなお地蔵さん(*´Д`)があるらしいので探してみたのですが・・・
うーん、頂上の方には進めなそうだな(´・ω・`)
こっちか? あんまり入りたくねぇな(;´∀`)
今の時期なら良いですが、夏ならヤブ蚊とかスゴそうなのでたぶんここで引き返してたw
途中、割れ鍋が落ちてたり(((((゜゜;)
曰くありげなヘルメットが落ちてたりΣ(゚Д゚;)
ついにはこんないい感じの廃墟まで出現!((( ;゚Д゚)))
この周り墓地も点在してるうえ、野鳥の巣になってて突然カラスが飛び立ったりするんで、ホラー感抜群ですw
あった!(゚∀゚)
これは乳房地蔵尊ではなく普通の六地蔵のようです
こっちのお堂が乳房地蔵尊
いわゆる乳の出が良くなる御利益があるそうですが、美乳になる御利益があるとも聞いたような・・・
まぁいくら美に執着する女性でもこんなホラーな所には来ないでしょうがw
窓越しに撮影してみましたが、蜘蛛の巣とかであまり良くわからなかった(^^;
岩井山を南に抜けました
渡良瀬川と土手のすぐ向こうに見えてる木立は御厨神社
すぐそこに自宅があるのにそのまま帰れないもどかしさw
おぉ!カラスウリなんて久しぶりに見たぞ♪(゚∀゚)
低い丘ですが再び凸する気はなかったので、山裾を回って帰ろうとまず西に向かったのですが行き止まり(×_×)
ちなみにこの辺りなぜか蠅がやたら多く、少し手前に空き家なんかもあっていろいろガクブルな想像が働きましたが、あまり余計なこと考えないようにして引き返しw(;´∀`)
東側の岩井町の方を通ってお帰り
途中にあった祠
拡大してみると屋根に「水神宮」と書かれてる様子
川の中にある集落らしいですね
台座に「御即位記念」とあり、いつの天皇陛下の御即位なのかは不明
歴史
鎌倉初期の創建。天保十年1839渡良瀬川洪水を避けるため現在地に遷宮。
明治四十三年1910天満宮を、大正三年1914石神社、十二神社を合祀。昭和十四年1939境内社殿大幅に改築。
当神社の立つ岩井山は中世平山城の勧農城跡。勧農城についてはWikipediaの記事を付記。
境内にある「乳房地蔵尊」は足利学校横にある善徳寺の境外堂宇。
名称 | 赤城神社 (勧農城跡) |
---|---|
読み方 | あかぎじんじゃ |
通称 | 岩井山 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》磐筒男命・磐筒女命 《合》菅原道真・伊邪那岐命・伊邪那美命 《境内社》金刀比羅神社・乳房地蔵尊 |
---|---|
創建時代 | 鎌倉時代初期に創建 天保十年(1839年)現在地に遷座 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 鎌倉初期の創建。天保十年1839渡良瀬川洪水を避けるため現在地に遷宮。
|
体験 | 仏像武将・サムライ |
Wikipediaからの引用
概要 | 勧農城(かんのうじょう)または岩井山城(いわいやまじょう)は、栃木県足利市岩井町の岩井山にあった中世の日本の城(平山城)。足利市指定史跡。 |
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歴史 | 歴史[編集] 文正元年11月15日(1466年12月22日、「長林寺所蔵長尾氏系図」)、山内上杉家当主の関東管領上杉房顕の家臣長尾景人(鎌倉長尾氏)が足利将軍家の了承の元に、足利将軍家と古河公方足利成氏の争いの対象となっていた下野足利庄の代官として派遣されて現地入りし、岩井山に勧農城を築いた。以後、景人の系統は「足利長尾氏」と称する。 勧農城は享徳の乱において、成氏の勢力の下にある下野における上杉方の唯一の根拠地であり、ここを拠点として下野進出を図りたい上杉氏とここの奪還して足利庄と下野の支配権を確かなものとしたい古河公方軍との攻防の最前線となった。長享元年(1487年)、景人の息子景長...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「勧農城」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8B%A7%E8%BE%B2%E5%9F%8E&oldid=97919226 |
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