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いんざんじ|曹洞宗倶胝山

印山寺
大阪府 東天下茶屋駅

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名称

印山寺

読み方

いんざんじ

参拝時間

通常非公開

電話番号06-6622-3383
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号

倶胝山

宗旨・宗派曹洞宗
創建時代

不詳

ご由緒

 『天王寺村誌』(大正14 1925年刊)の寺院の項の筆頭に当寺の記述がある。これによれば創立の年月は不詳だが、淳和天皇(786-840)の天長3(826)年、悪疫が流行った折に空海を奉じて阿倍野の地に薬師如来を奉じ一千部薬師経を読写したところ、権現が現れ悪疫退散した。淳和帝は痾免寺の勅号と勅額を下賜したという。同書はその時点で既に何らかの寺院があったとも推測し、それは阿倍氏が創建した「阿倍寺千軒」の一部ではなかったかとしている。痾免寺は阿倍王子神社の神宮寺として地域の信仰が厚かった。また皇室の崇敬も集め、淳和天皇の勅額があったほか、花山天皇(968-1008)の熊野権現参詣の折に宿所に宛てられたという。以後戦乱の地となったこともあったが、法灯を絶やすことなく近世に至る。宝永四(一七〇三)年の『寺記』によれば、王子権現の神主、庄屋の保田源左衛門が寺主を兼ねていたようだが、その死に際して息子千之助が幼少で、財政的にも寺院の運営が困難だったために、享保8(1723)年に寺の所有一切を天王寺鳳林寺に譲渡する旨時の代官久下藤十郎に届け出た。鳳林寺住職萬源は堂宇を造営。以後同寺は曹洞宗となる。翌年には江州膳所藩主本多下総守(康慶?)二男で病弱のため天王寺鳳林寺にて出家した本多忠則も復興に努めた。代官久下藤十郎は萬源に私淑し、追善のため亡父久左衛門を開基とし、享保14(1729)年5月12日、その法名実相院殿印山宗燈居士にちなんで寺名を倶胝山印山寺と改めた。享保19(1733)年萬源は同寺にて寂する。安永4(1775)年、印山寺開帳。寛政元(1789)年正喜の代、本堂を草葺から瓦葺とし、寺容を一新する。大正14(1925)年時点で、境内338坪。本堂の他に庫裏、書院、休憩所、薬医門。さらに境外に観音堂、地蔵堂があった。(以上『天王寺村誌』より)戦災により堂宇の一切を焼失した。平成15(2005)年物故した五代目桂文枝の墓所である。

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