そうふくじ|臨済宗妙心寺派|神護山
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美濃西国三十三観音霊場 2日目の参拝開始です 朝から晴天☀️
お参り満々でJR岐阜駅を出発! 1番目は 第14番札所神護山崇福寺
聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院です
長良川に(長良橋)に近く、金華山岐阜城を望むことができ、市内バスも多く通る道路沿いにありますが 境内に入るととても静かでゆったり・・でも何か凜とした空気感を感じます。
本堂にはいつも入れますが(拝観料200円)、血天井をじっと見ることができずにいました ただ怖いなあという思いだけなのですが 一緒に来ている参拝者の方となら・・とマジマジと少々後ずさりしながら見ました。
血天井とは 織田信長公の孫秀信が 関ヶ原の戦いで 西軍の石田三成に加担したため 東軍の猛撃にあい岐阜城は落城 このとき戦死した将兵の菩提を弔うため岐阜城の床板を本堂の天井に張られました。
歴史は、明徳元年(1390)檀越土岐満康が太白真玄を開山に招き 大寿山崇福寺を建立しましたが百夕余年の間に衰退の道を辿り 廃寺同然になっていたのを斎藤利匡が整備し 神護山崇福弘済禅寺と改称しました
稲葉一鉄が小僧時代を過ごした寺であり 鐘楼を寄進されています。


崇福寺(そうふくじ)さんは、宗派は臨済宗妙心寺派、山号は神護山、御本尊は地蔵菩薩さんです。
また織田信長・信忠父子の廟所や位牌堂があります。
1567年、織田信長公が美濃に入ると禁制を出し、崇福寺(そうふくじ)さんを菩提所として特別保護しました。
1582年、信長・信忠親子が本能寺の変で討たれると、側室 小倉なべ(お鍋の方)が岐阜城から二人の遺品を崇福寺さんに葬ったそうです。
1600年、信長公の孫 三法師秀信が関ヶ原合戦の約1ヶ月程前に西軍に属し、東軍の攻撃を受け岐阜城が落城すると、戦死した将兵38名の霊を弔うため、城の床板を天井に張り、今でも血痕が付着しています。
拝観受付時に御朱印帳をお預けして、録音された音声による案内を聞きながらお参り・拝観しました。
とても興味深かったです。
その後、御朱印帳を受取り、建物の外に出て、本堂裏手にある庭園や廟所なども観ることができました。
新緑が目に優しくて、とても癒やされました!






東海三十六不動尊霊場 第33番の次は美濃西国三十三観音霊場 第14番の神護山 崇福寺です。
岐阜市の岐阜城が建てられている金華山の近く(北西)に在ります。
臨済宗妙心寺派で、本尊は聖観音菩薩。
現、神護山崇福寺の創建は1511年だが、前身の大寿山崇福寺は1390年の創建。
織田家菩提所、徳川家朱印地、有栖川宮家祈願所となった由緒ある寺院です。
境内はとても綺麗で庭も手入れされています。
拝観料(200円)を納めると、本堂の中に入れて戴き、寺宝、本尊や岐阜城落城の際の床板(血天井)を観る事が出来ます。撮影は自由となっています。
また、本堂の裏側(北側)には、織田信長・信忠父子の廟があり、その横には位牌堂があります。
納経帳に朱印を押印して戴きました。
尚、駐車場は寺の南側の道路(東西の通り)沿いに10数台停めれます。

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