だいぎょうじ|日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺。|長慶山
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正式名:長慶山正覚院大巧寺
通称:おんめさま
神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。
大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。
この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。
文永11年(1274)、日澄により日蓮宗に改宗、これに基づき現在では開山を日澄としている。
元応2年(1320)2月に現在地へ移転した。
天文元年(1532)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれ、この伝承が広まって以降、安産祈願に験のある寺として知られるようにる。
慶応2年(1866)10月15日、本堂・庫裏が火災により焼失し、明治3年(1870)に再建されるものの、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。本堂は昭和6年(1931)、庫裏は昭和7年に再度再建された。そして昭和26年(1951)2月16日に単立寺院となり現在に至る。


24.01.03D 鎌倉「大巧寺」新年 初参拝 _ 鎌倉市小町

01) 「長慶山正覚院 大巧寺 (だいぎょうじ)」_ 鎌倉市小町 9:43am頃~
通称 ” おんめさま ” 日蓮宗系単立 : 檀家を持たず安産祈願の 単立寺院
小町大路側の正門
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鎌倉時代は若宮大通沿いに門を建てるのは禁止だった ’ らしい ’ ので、
例えば「本覚寺」「妙隆寺」と同様に
(商店街道路 小町通り ではない)’ 小町大路 ’ 側が正門。
小町大路は 今でこそ細く電柱が車道に はみ出して私でさえ
クルマでもバイクでも通るのは嫌なのだけれども、
鎌倉時代は 武士も住民町民のメインストリートで
道幅は2倍~3倍もあった ’ そうだ ’・・・
・・・3倍もあったら 東側で並行する ’ 滑川(なめりがわ)’ に落っこちちゃうよナ・・・
・・・西側で北に向かって並行する ’ 若宮大路 ’ 側方向に道幅が広かったの ’ かも ’ ナ。
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02) 本堂
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23.05.18。先の寿福寺より徒歩13分。鎌倉駅近くの市内小町1丁目にある日蓮宗系の単立寺院。
山号 長慶山
院号 正覺院
寺号 大巧寺(だいぎょうじ)
創建 不詳(天文元年・1532年とも)
本尊 産女霊神(うぶめれいしん)
【由緒】〜当寺HPの原文のママ〜
『往古ハ鎌倉十ニ所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覺院大行寺ト称シ真言宗ナリ、嘗テ源頼朝当寺ニテ、軍ノ評定セシニ、其ノ合戦勝利ヲ得タレハ大巧寺ト改メタリ其ノ後元慶ニ年ニ月現地ニ移転 住僧某日蓮ニ帰依改宗シ妙本寺ノ院家ニ属ス天文元年四月当町大倉ノ住人秋山勘解由ノ室難産獄苦ニ沈メルヲ当寺日棟教化得脱セシメ産女ノ塔(うぶめの塔)ヲ建テ安産守護ノ霊神トシテ祠ル、開山ヲ日澄(中老)トシ天正十九年十一月徳川家ヨリ御朱印地七貫ニ百文ヲ賜フ』
過去何回か参詣するも、書き手の御住職は外出が多く御朱印拝受が叶いませんでした。本日も不在でしたが、書き置きでやっと拝受できました。
参道の植栽に癒されるお寺さんですね!

23.03.20i 鎌倉「大巧寺」春の参拝 _ 鎌倉市小町

代わり映えしない写真をペタペタ貼るだけの写真日記、私的な参拝年月日記録。
01-1)「長慶山正覚院 大巧寺 (だいぎょうじ)」 _ 鎌倉市小町
通称 ” おんめさま ” 日蓮宗系単立 : 檀家を持たず安産祈願の 単立寺院
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01-2) 本堂周辺の、’ 利休梅 ’
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22.12.28 鎌倉「大巧寺」 参拝 _ 鎌倉市小町

01) 「長慶山正覚院 大巧寺 (だいぎょうじ)」 _ 鎌倉市小町
通称 ” おんめさま ” 日蓮宗系単立 : 檀家を持たず安産祈願の 単立寺院
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02) 本堂
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正式名:長慶山正覚院大巧寺
通称:おんめさま
神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。
大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。
この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。
文永11年(1274)、日澄により日蓮宗に改宗、これに基づき現在では開山を日澄としている。
元応2年(1320)、2月に現在地へ移転した。
天文元年(1532)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれ、この伝承が広まって以降、安産祈願に験のある寺として知られるようにる。
慶応2年(1866)10月15日、本堂・庫裏が火災により焼失し、明治3年(1870)に再建されるものの、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。本堂は昭和6年(1931)、庫裏は昭和7年に再度再建された。
そして昭和26年(1951)2月16日に単立寺院となり現在に至る。
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