ほうぞういん|浄土宗|五劫山
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ヨコスカオレンジウォークと言うウォーキングイベントに参加しました。
こちらのお寺は最終チェックポイントです。
このお寺には、ウルトラマンの木魚があり、普段は参拝者が見えるようなところには置いていないらしいのですが、この日は特別にお賽銭箱の脇当たりに置いてくださっていて、参拝者が木魚を叩けるようになっていました!
御朱印もいただきました。
普通のタイプとウルトラマン木魚の写真入りがありましたが、私は普通の方をいただきました。






京急線「津久井浜駅」下車徒歩5分。
浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀仏です。
正式名は、五劫山法蔵院阿弥陀寺です。
門前の先は、三浦の海で潮の香りが漂う寺院です。
ここの本堂には、「ウルトラマン」にちなんだ木魚が安置されています。
「ウルトラ木魚」のお寺。世代的には懐かしく思いました。


山門です。
左甚五郎の作と云われる江戸時代初期のものです。

境内からすぐは、津久井浜の三浦の海に出ます。

本堂です。

お参り、撮影が自由にできます。

「ウルトラ木魚」です。
円谷プロのイベントがきっかけで、了承をいただいて製作。
35話の「怪獣墓場」で怪獣供養の場面があり、おそらく作者は命の大切さを語ったものと思われます。
ちょうど子供の頃は、ウルトラマンのダイレクト世代なので、「まさに!このフォルム。」です。
ちなみに、今の人たちにはウルトラマンは知らない世代になったと言う話を伺いました。
この木魚は自由に使っても良いそうです。
なお、木魚を敲くたびに「シュワッチ!」・・・とは鳴りません。
この「ウルトラ木魚」は日本に3つあるそうです。


夕暮れ空に漂う菩薩さま。
そろそろ帰りましょうか・・・シュワッチ!
境内・文化財
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< 法蔵院さま公式Webサイトから由緒沿革の引用
_ https://houzoin.or.jp/法蔵院/由緒沿革/ >
.
当寺は元久元年(西暦1204年 土御門天皇の御代 源実朝の頃)
天台宗の耆宿 ※聖覚法印の高弟 明円上人により開創され、
後、法然上人の教えを信奉して浄土宗に改められたと伝えられております。(史実不詳)
元 京都 総本山 知恩院の直末でしたが、
貞享年中(1686年頃)鎌倉光明寺の末寺となったようです。
由緒によりますと、弘治・永禄の頃(1556~58年)房総を掌握していた里見氏が勢力拡大のために、
小田原 北条氏との抗争で、三浦侵略を繰返し、
その戦場となり兵火のために、諸堂宇は灰燼に帰されました。
その際、里見氏は三浦城の攻略が出来ないまま、当寺の仏像、梵鐘等をもち去りましたが、
途中海が荒れて仏像を海中に投げ捨てて逃げ帰りました。
この仏像は三浦 菊名の里に流れ着き,無事当寺に帰ることが出来。
その縁で菊名の里に、現在も檀家数拾戸があります。
そのお檀家の便利を計って、建立したのが永楽寺であると伝えられております。
北条氏は当寺の諸堂宇の焼失を嘆き
学問所をここに移建して改築し九間半・七間半の本堂を建立しました。
嘉永年間(1847年)鎌倉光明寺の山門改築の際、
旧山門を移築して建立したといわれる山門(間口七間 奥行き二間の楼門)がありました。
元 子院として山内に雲光院と真珠院が、
末寺に、往生院・円乗院・永楽寺・霊川寺・長沢 浄慶寺などがありました。
関東大震災にて、総門と庫裏を残して全壊。
本堂の古材を売却して、山門の古材にて大正12年に仮本堂を建立。
その後昭和47年に本堂の再建、昭和55年庫裏、昭和60年客殿、
昭和63年に総門が再建され現在に至っております。
法蔵院の基本情報
| 住所 | 神奈川県横須賀市津久井1-12-5 |
|---|---|
| 行き方 | ・京急電鉄久里浜線「津久井浜駅」下車、徒歩10分。
|
神奈川県のおすすめ3選❄️
| 名称 | 法蔵院 |
|---|---|
| 読み方 | ほうぞういん |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし(志納) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 046-848-0154 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://houzoin.or.jp/ |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 五劫山 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 元久元年(1204年) |
| 開山・開基 | 明円 |
| ご由緒 | < 法蔵院さま公式Webサイトから由緒沿革の引用
この仏像は三浦 菊名の里に流れ着き,無事当寺に帰ることが出来。
北条氏は当寺の諸堂宇の焼失を嘆き
嘉永年間(1847年)鎌倉光明寺の山門改築の際、
元 子院として山内に雲光院と真珠院が、
関東大震災にて、総門と庫裏を残して全壊。
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| 体験 | 御朱印 |
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