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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※法蔵院ではいただけません

ほうぞういん|浄土宗五劫山

法蔵院

神奈川県 津久井浜駅

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046-848-0154

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
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-
パーキング
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あり。 30台ほど。

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mitch
2020年06月18日(木)
2040投稿

20.06.04「法蔵院」< 五劫山法蔵院阿弥陀寺 > 参拝 _ 横須賀市津久井

法蔵院の山門

01-1) 「法蔵院」< 五劫山法蔵院阿弥陀寺 > 総門 _ 横須賀市津久井1-12-5

法蔵院の芸術

01-2) 総門上方の彫刻。
公式HP解説では、
” 元禄12年(1699年)総門が建立され、何度か再建されておりますが、
龍の彫刻は創建当初のもので「荒れ狂う波間に龍を配し、
その裏には梅と二羽の雉が彫られております
。一説に 左甚五郎(1634年亡)作との説もあります。” とのこと。
.
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法蔵院の歴史

02) ” 浄土宗 五劫山法蔵院阿弥陀寺 由緒 ” が彫られた石碑。
私の近所、鎌倉・材木座「大本山 光明寺」と深い縁があることも解説されている。

法蔵院の像

03) ” 平成大改修記念 平成二十九年春彼岸 ” と彫られた石造台座に建つ、青銅の立像。
.
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法蔵院の本殿

04-3) 本堂の、自動ドアー っ!
本堂内へ入っての参拝OKですが、
そっと触れるタイプの 自動ドアー っ! を開けた場所で拝礼合掌いたしました。
綺羅びやかな箔貼り と 彩色を含め、
まるで新造立かのように修復された仏像を拝すとができました。

法蔵院(神奈川県)

04-4) インフォメーション
.
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******************************
20.06.04Z #津久井 「 #法蔵院 」< #浄土宗五劫山法蔵院阿弥陀寺 >_ #横須賀市津久井
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-06-18-1#more

/ #五劫山法蔵院 #十夜法要

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歴史

< 法蔵院さま公式Webサイトから由緒沿革の引用
           _ https://houzoin.or.jp/法蔵院/由緒沿革/ >
.
当寺は元久元年(西暦1204年 土御門天皇の御代 源実朝の頃)
天台宗の耆宿 ※聖覚法印の高弟 明円上人により開創され、
後、法然上人の教えを信奉して浄土宗に改められたと伝えられております。(史実不詳)
元 京都 総本山 知恩院の直末でしたが、
貞享年中(1686年頃)鎌倉光明寺の末寺となったようです。
由緒によりますと、弘治・永禄の頃(1556~58年)房総を掌握していた里見氏が勢力拡大のために、
小田原 北条氏との抗争で、三浦侵略を繰返し、
その戦場となり兵火のために、諸堂宇は灰燼に帰されました。
その際、里見氏は三浦城の攻略が出来ないまま、当寺の仏像、梵鐘等をもち去りましたが、
途中海が荒れて仏像を海中に投げ捨てて逃げ帰りました。

この仏像は三浦 菊名の里に流れ着き,無事当寺に帰ることが出来。
その縁で菊名の里に、現在も檀家数拾戸があります。
そのお檀家の便利を計って、建立したのが永楽寺であると伝えられております。

北条氏は当寺の諸堂宇の焼失を嘆き
学問所をここに移建して改築し九間半・七間半の本堂を建立しました。

嘉永年間(1847年)鎌倉光明寺の山門改築の際、
旧山門を移築して建立したといわれる山門(間口七間 奥行き二間の楼門)がありました。

元 子院として山内に雲光院と真珠院が、
末寺に、往生院・円乗院・永楽寺・霊川寺・長沢 浄慶寺などがありました。

関東大震災にて、総門と庫裏を残して全壊。
本堂の古材を売却して、山門の古材にて大正12年に仮本堂を建立。
その後昭和47年に本堂の再建、昭和55年庫裏、昭和60年客殿、
昭和63年に総門が再建され現在に至っております。

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法蔵院の基本情報

住所神奈川県横須賀市津久井1-12-5
行き方

・京急電鉄久里浜線「津久井浜駅」下車、徒歩10分。
・横浜横須賀道路「佐原I.C.」より車で約18分
・国道134号線を三浦方面へ向かい、「津久井浜駅入口」より300m先、「法蔵院前」信号を右折
・国道134号線を北上し、「諏訪神社入口」より350m先、「法蔵院前」信号を左折

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名称法蔵院
読み方ほうぞういん
参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし(志納)

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号046-848-0154
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://houzoin.or.jp/

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号五劫山
宗旨・宗派浄土宗
創建時代元久元年(1204年)
開山・開基明円
ご由緒

< 法蔵院さま公式Webサイトから由緒沿革の引用
           _ https://houzoin.or.jp/法蔵院/由緒沿革/ >
.
当寺は元久元年(西暦1204年 土御門天皇の御代 源実朝の頃)
天台宗の耆宿 ※聖覚法印の高弟 明円上人により開創され、
後、法然上人の教えを信奉して浄土宗に改められたと伝えられております。(史実不詳)
元 京都 総本山 知恩院の直末でしたが、
貞享年中(1686年頃)鎌倉光明寺の末寺となったようです。
由緒によりますと、弘治・永禄の頃(1556~58年)房総を掌握していた里見氏が勢力拡大のために、
小田原 北条氏との抗争で、三浦侵略を繰返し、
その戦場となり兵火のために、諸堂宇は灰燼に帰されました。
その際、里見氏は三浦城の攻略が出来ないまま、当寺の仏像、梵鐘等をもち去りましたが、
途中海が荒れて仏像を海中に投げ捨てて逃げ帰りました。

この仏像は三浦 菊名の里に流れ着き,無事当寺に帰ることが出来。
その縁で菊名の里に、現在も檀家数拾戸があります。
そのお檀家の便利を計って、建立したのが永楽寺であると伝えられております。

北条氏は当寺の諸堂宇の焼失を嘆き
学問所をここに移建して改築し九間半・七間半の本堂を建立しました。

嘉永年間(1847年)鎌倉光明寺の山門改築の際、
旧山門を移築して建立したといわれる山門(間口七間 奥行き二間の楼門)がありました。

元 子院として山内に雲光院と真珠院が、
末寺に、往生院・円乗院・永楽寺・霊川寺・長沢 浄慶寺などがありました。

関東大震災にて、総門と庫裏を残して全壊。
本堂の古材を売却して、山門の古材にて大正12年に仮本堂を建立。
その後昭和47年に本堂の再建、昭和55年庫裏、昭和60年客殿、
昭和63年に総門が再建され現在に至っております。

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