せいりゅうざんほんぞうじ|日蓮宗|晴立山
晴立山本蔵寺公式東京都 江戸川駅
土日の午後を基本としますが、月によって変わります為、詳細は当山Instagramをご参照下さい。
せいりゅうざんほんぞうじ|日蓮宗|晴立山
土日の午後を基本としますが、月によって変わります為、詳細は当山Instagramをご参照下さい。
加賀藩前田利家の側室・千代保により、前田家の祈願所として開かれました。
江戸川の土手がすぐそばにあり、週末は少年野球の子どもたちが多く往来し、笑顔と活気にあふれます。
5~6月には土手の菖蒲がきれいな花を咲かせ、江戸川区のちょっとした名所になっています。
また、児童文学作品である『ルドルフとイッパイアッテナ』(斉藤洋/著)の舞台となった街でもあります。
地域に開かれたお寺を目指して、様々なご縁に感謝し、色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。
どうぞ、お気軽にお立ち寄り下さい。
令和6年(2024年)6月9日(日)
東京都江戸川区北小岩の本蔵寺に参拝
「駅からハイキング」で小岩駅周辺を散歩
大通りを渡って交番の角から小路に入ると左手に本蔵寺があり、寺務所に人が並んでいる。
ぱっと見た感じは「観光寺」ではない、小さなお寺。どうしてみんな並んでいるのだろう?
ふと、立て看板が出ているのに気づいた。なるほど。菖蒲祭の御朱印を出しているんだ。今日限り、らしい。そういう話には御朱印マニアは弱いよね。私はその手の「限定御朱印」というのはあまり好きではないのだけれど、せっかくだからと思い、並んでみた(笑)。でも、列がさっぱり動かない。この調子だとあとどのくらいの時間がかかるのか、わからない。やむなく列を離脱。まあ、ご縁がなかったのでしょう。
当寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に起立され、京都妙顕寺開基龍華樹院日像菩薩の「像」の一字をもって大雄山本像寺と称し、妙顕寺の末でした。延享2年(1745)の同寺「略縁起」は、加賀中納言前田利光の母寿福院尼が一寺を草創したのがはじまりと伝えています。明治43年(1910)に下総真間弘法寺末の晴立寺と合併し、晴立山本蔵寺となり、晴立寺のあった現在地に移転しました。
晴立寺は、小岩市川関所役人を代々つとめた中根氏の館のあとといわれ、菩提寺と伝えられています。現墓地には、中根平左衛門家の代々合葬墓があります。
住所 | 東京都江戸川区北小岩3-22-19 |
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行き方 | 京成線江戸川駅より徒歩3分
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名称 | 晴立山本蔵寺 |
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読み方 | せいりゅうざんほんぞうじ |
参拝時間 | 土日の午後を基本としますが、月によって変わります為、詳細は当山Instagramをご参照下さい。 |
参拝料 | なし |
トイレ | 屋内にございますのでお気兼ねなくご利用下さい。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 03-3659-6055 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | honzouji@gmail.com |
ホームページ | https://temple.nichiren.or.jp/0011053-honzouji/ |
SNS |
ご本尊 | 釈迦牟尼仏
日蓮大菩薩 日朗菩薩 日像菩薩 大黒天 鬼子母神 |
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山号 | 晴立山 |
宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 1622(元和8)年 |
開山・開基 | 開山・光寿院日東聖人、開基・壽福院殿華岳日栄大姉 |
文化財 | 木造日朗・日像聖人坐像(江戸川区指定有形文化財) |
ご由緒 | 当寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に起立され、京都妙顕寺開基龍華樹院日像菩薩の「像」の一字をもって大雄山本像寺と称し、妙顕寺の末でした。延享2年(1745)の同寺「略縁起」は、加賀中納言前田利光の母寿福院尼が一寺を草創したのがはじまりと伝えています。明治43年(1910)に下総真間弘法寺末の晴立寺と合併し、晴立山本蔵寺となり、晴立寺のあった現在地に移転しました。
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