さいしょうじ|天台宗|牛寶山
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牛宝山 最勝寺(さいしょうじ, 天台宗, 877年)
本堂, 慈覚大師円仁が開基, 本尊は釈迦如来, 札所本尊は不動明王, 通称 目黄不動尊 で有名
🌸最勝寺(さいしょうじ)にご参拝をさせて頂きました🙏 🌼東京都江戸川区平井にある天台宗の寺院。通称「目黄不動尊」、正式名称は「牛宝山(ごほうざん)明王院最勝寺」である。最勝寺は、「牛宝山・明王院・最勝寺」と号し、通称「目黄不動」といわれている。 🍁最勝寺の始まりは、慈覚大師が東国巡錫のみぎり、隅田川畔(現・墨田区向島)にて、釈迦如来像と大日如来像を手ずから刻み、これを本尊として貞観二年庚辰(860)に一宇を草創したことによる。同時に大師は、郷土の守護として「須佐之男命」を勧請して牛島神社に祀り、大日如来を本地仏とした。 🌱慈覚大師の高弟・良本阿闍梨は、元慶元年(877)に寺構の基礎を築き、最勝寺の開山となり、当寺を「牛宝山」と号した。その後、本所表町(現・墨田区東駒形)に移転した。 当寺は徳川家の崇拝が篤く、将軍が鷹狩りの際にしばしば立ち寄り「仮の御殿」が置かれた。明治の神仏分離に至るまで、牛島神社(牛の御前)の別当をつとめ、その時神社の本地仏大日如来像は当寺に遷座し、今日に至ります。 🌻当寺に奉安される不動明王像は、江戸府内五色不動の一つで、目黄不動と称されている。 この不動明王像は、天平年間(729~766)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡錫の折り、隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らその御姿をきざまれたものであり、同時に一宇の堂舎を建立された。その後最勝寺の末寺で本所表町にあった東栄寺の本尊として祀られ、徳川氏の入府により将軍家の崇拝するところとなった。殊に家光公の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられたが、この時に目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。🍀明治の神仏分離により東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は本寺の最勝寺に遷座され、これより当寺は「明王院」と号するようになった。 明治末に隅田川に駒形橋が架かることによる区画整理があり、現在地に移転し今日に至ります。
🍁所在地: 東京都江戸川区平井1丁目25−32
歴史
平安時代に慈覚大師が隅田河畔に創建。良本阿闍梨が中興。江戸時代に本所に移転。明治維新まで牛島神社(墨田区向島1丁目)の別当を務めていました。大正2年(1913)、区画整理のため現在の地に移転。墓地には鳥亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)、柔道家徳三宝夫妻の墓があります。
名称 | 最勝寺 |
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読み方 | さいしょうじ |
通称 | 目黄不動 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3681-7857 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
関東三十六不動尊霊場 |
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詳細情報
山号 | 牛寶山 |
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院号 | 明王院 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 貞観2年(860) |
開山・開基 | 慈覚大師 |
文化財 | 木造不動明王坐像(江戸川区登録有形文化財) |
ご由緒 | 平安時代に慈覚大師が隅田河畔に創建。良本阿闍梨が中興。江戸時代に本所に移転。明治維新まで牛島神社(墨田区向島1丁目)の別当を務めていました。大正2年(1913)、区画整理のため現在の地に移転。墓地には鳥亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)、柔道家徳三宝夫妻の墓があります。 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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