やくおうじ|曹洞宗
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に(無料で5回までお試し)
おすすめの投稿
【東光山 自性院 薬王寺】
2023.12.2
埼玉県所沢市有楽町8-18
曹洞宗
ご本尊 薬師如来
1352年新田義宗(義貞の子)が足利尊氏に敗れ、ここで再起をはかったが果たせず亡くなった場所として有名だそうです。
落ち着いた感じのお寺様という印象。卍
御本堂の小窓から、ご本尊の薬師如来様を拝観させていただきました。
本堂近くの2本の銀杏の木が立派です。🌲
新田義宗終焉之地碑が御本堂の左手前にあります(逆光で上手く撮れませんでしたが。💦)
ご本尊手前に、庭園があり綺麗にお手入れされてます。
境内の所々が紅葉してました。🍁
駐車場有り
御朱印帳に手書きの書き入れ
納経料は気持ちをお賽銭箱に
御本堂右側の寺務所でいただけます。
貫禄あるご住職様が書いてくださいましたが、丁寧なご対応に感謝です。
達筆で素晴らしい!🖌️👍🤗
鎌倉街道散策(所沢)3
【散策ルート】
所沢駅〜①実蔵院〜②弘法の三ツ井戸〜③新光寺〜④薬王寺〜⑤所澤神明社〜⑥堀兼分岐点〜新所沢駅
新光寺出ると川越所沢線を元町方面へ10分程で薬王寺に到着。街の真ん中に結構な規模の寺院。
④薬王寺
所沢市有楽町にある曹洞宗の寺院で、東光山自性院と号す。本尊は薬師如来。『太平記』には新田義宗が正平7年(1352)に兄義興と共に「武蔵野合戦」にて足利尊氏と戦って敗れ越後に退いたと記されている。寺の縁起によれば義宗は戦いに敗れた後に、再起の時を計って密かに武蔵のこの地に入り隠れ住んだ。新田義宗は髪を落とし衣を着て、今まで隠れ住んでいた家をお堂に改めた。そして一体の薬師如来像を刻み、腹の中に守本尊を納め、戦死した一族や家臣の菩提を弔いながら余生を送り、応永20年(1413年)にこの地で亡くなった。
【武蔵野合戦】
足利尊氏と直義の戦いである「観応の擾乱」後の南北朝廷の代理戦争であると同時に足利家と新田家の因縁の戦いでもある。
「観応の擾乱」での直義死後に上杉憲顕らは新田義興・義宗と結んで南朝方として、北朝方の尊氏らとこの地で戦ったが、惜しくも敗北した。その後南朝は衰退し、南北統一されて室町幕府の権威も強くなった。
府中分倍河原や所沢小手指原、笛吹峠など鎌倉街道上道に中世の戦場地が多くあります。
薬王寺までの道
④薬王寺 山門
④薬王寺 山門
④薬王寺 案内板
④薬王寺 本堂
④薬王寺 石碑
④薬王寺 鐘楼
④薬王寺 鐘楼と石碑
④薬王寺 六地蔵
④薬王寺 新田家
④薬王寺 御朱印
名称 | 薬王寺 |
---|---|
読み方 | やくおうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 04-2922-2258 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
---|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0