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しんぷくじ|曹洞宗大棚山

真福寺
埼玉県 大野原駅

御朱印について
御朱印
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巡礼

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秩父三十四観音霊場
第二番札所

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惣一郎
惣一郎
2022年08月16日(火)
1269投稿

【秩父三十四所観音霊場巡り(2/34)】(過去の参拝記録)

真福寺(しんぷくじ)は、埼玉県秩父市山田にある曹洞宗の寺院。山号は大棚山。本尊は聖観世音菩薩。秩父三十四所観音霊場第2番。納経所は光明寺(秩父市山田)。

寺伝によると、開基の大棚禅師が老後鬼丸という岩屋に籠っている時、一人の老婆が帰依して過去を懺悔し竹杖を置いて立ち去ったため、これを憐れみ供養のために堂宇を建立したのが始まり。その後、鉄厳全鈯が現在地に堂宇を移したとされている。江戸時代後期までに相当な規模の伽藍を構えていたが、1860年の火災により焼失、幸い室町時代作の本尊と脇侍は救出された。現在の堂宇は明治時代1903年ごろの建立。

当寺は、秩父鉄道・大野原駅の東方3.3km、道のり4.5kmの、高篠山(標高665m)の中腹にある。1番札所からは道のり2.1km。途中の道のりは、舗装はされているが山道で、歩きで登るにはけっこういい運動になりそう。当時の周りには何もなく、寺院と言っても現在は無人で、草むらの参道を分け入って入るのは、サバイバル参拝に慣れていない人だとびっくりしそう。(笑)納経所は山道を2.3km下った光明寺。

今回は、秩父三十四所観音霊場札所ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分と入れ替わりに参拝者を数人見掛けた。

※室町時代の長享年間(1487年~1489年)に当寺は水害を受け、秩父三十三所から外されていたが、信者からの復活要望により間もなく三十四所となったとのこと。

真福寺の建物その他

細い公道沿いの目印の看板と駐車場。つい見逃しそうになる。この左手が参道。

真福寺(埼玉県)

写真左側から奥に向かって参道が伸びる。かなりワイルドな雰囲気。(^_^;)

真福寺の建物その他

境内入口の階段。

真福寺(埼玉県)

階段の上に建っている<寺務所>。無人みたい。本堂は左上方。

真福寺(埼玉県)

寺務所に向かって左手にある観音像。柔和な面もち。

真福寺の本殿

寺務所左手の階段を登るとすぐに<本堂>。明治時代1903年の再建。境内の建物はこの1棟のみ。

真福寺の本殿

<本堂>正面。華やかな彫刻や建具の細工に過去の栄華を感じる。

真福寺(埼玉県)

<本堂>内部。無人だが、よく使われている感じがする。

真福寺(埼玉県)

<本堂>を斜めから。

真福寺の芸術

<本堂>の横に飾られている奉納額。江戸っぽい絵と由緒が書いてある。

真福寺の本殿

横から見ると、向拝が長いのが分かる。

真福寺の本殿

最後に<本堂>全景。やや寂れた感じが逆に良い雰囲気かも。(^▽^)/

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歴史

『観音霊験記』によると、大棚禅師が一人の老婆の供養のために建立したものである。老婆は岩屋に籠って参禅している禅師の前にひざまずき、過去の罪業を懺悔し朝夕香華を供え仏道に帰依したが、ある日、一本の竹の杖を残して忽然と姿を消していた。これを哀れんだ禅師が供養のために堂を建てたのが始まりである。
長享年間(1487年~1489年)の水害で秩父三十三箇所から外されたが、信者からの復活要望で室町時代後期に34ヶ所目の札所となった。また、これにより西国三十三箇所、坂東三十三箇所に秩父三十四箇所を合わせて百観音霊場となっている。
当初は現在「古堂」と呼ぱれるところに奉祀されており、その後、江戸時代の初期に高篠山の中腹の現在地に移って諸堂のある大伽藍を構えていたが1860年(万延元年)の火災により焼失した。現在の観音堂は1908年(明治41年)に再建されたもので、入母屋造銅葺屋根、三間四面の構造である。

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名称真福寺
読み方しんぷくじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0494-22-1832
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巡礼の詳細情報

秩父三十四所観音

詳細情報

ご本尊聖観世音菩薩
山号大棚山
宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

『観音霊験記』によると、大棚禅師が一人の老婆の供養のために建立したものである。老婆は岩屋に籠って参禅している禅師の前にひざまずき、過去の罪業を懺悔し朝夕香華を供え仏道に帰依したが、ある日、一本の竹の杖を残して忽然と姿を消していた。これを哀れんだ禅師が供養のために堂を建てたのが始まりである。
長享年間(1487年~1489年)の水害で秩父三十三箇所から外されたが、信者からの復活要望で室町時代後期に34ヶ所目の札所となった。また、これにより西国三十三箇所、坂東三十三箇所に秩父三十四箇所を合わせて百観音霊場となっている。
当初は現在「古堂」と呼ぱれるところに奉祀されており、その後、江戸時代の初期に高篠山の中腹の現在地に移って諸堂のある大伽藍を構えていたが1860年(万延元年)の火災により焼失した。現在の観音堂は1908年(明治41年)に再建されたもので、入母屋造銅葺屋根、三間四面の構造である。

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