浄土宗宮崎山
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 山門横に幼稚園駐車場兼参詣者駐車場有(約20台駐車可能) |
龍光寺について
関東で屈指のお十夜法要を行っている寺院。山門の彫刻が素晴らしく見ほれること間違いなし。御朱印はあるのですが、ご住職様がご高齢で体調がすぐれないため基本的には中止しています。
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立派な山門です。
富岡市では一番大きいお寺だそうで、富岡製糸場で働いていた女工さんや関係者のお墓もありました。
境内にある大銀杏の樹が素晴らしかったです。
実家での法事の帰りに富岡をブラブラ。
以前から実家に帰る際に前を通っていて気になっていた寺院さま。
今日は是非とお参りしました。山門の彫刻に見惚れ、千手観音堂の観音様に見惚れ、時間を忘れてみて回り正午ごろに着いたのに気づくと13時過ぎ。
ちょうど良い時間と庫裡に向かって歩いていると、自転車で向かってくる男性に「御朱印?」と聞かれ「ハイ。」と答えると「ごめん、今やってないんだわ。」と。
「わかりました。」答えたところで、「ちょっと待ってて!、申し訳ないからお土産持ってくるから持って行って。」と言われ、庫裡の前で待っていると、今度はご高齢の男性と話をされているご様子。
後からわかりましたが、ご高齢の男性はご住職様、自転車の男性は副住職様でして、ちょうど副住職様が外出から戻ってきたところに出くわし、ご住職様はお出かけされようと出てこられたタイミングだったようで、お札やお下がりなどたくさんいただいたところで、ご住職様が、「書置きでよければお渡ししますよ。」と言ってくださり、御朱印は頂くことができました。
ただご住職様が、申し訳なさそうにおっしゃられたのですが、「平成の元号で印刷したものなので申し訳ない。」とこっちはお出かけにあるタイミングで寄ってしまって却って申し訳ないやら、たくさんのお下がりやお土産を頂いてしまって申し訳ないやらでした。
御朱印に日付を入れてくださり、「平成は修正ペンで消して下さい。」と言われると副住職の奥様と思われる方とお部屋へ。
御祈祷しますのでお名前をとご住職様に尋ねられて、後でご祈祷されるのかと思っていると、そのままお経を読み上げられ、お念仏をお唱え下さいとのことで、お念仏を唱え、家内安全等ご祈祷いただきとてもありがたい経験をしました。
なお、御朱印はご住職がご高齢ということもあり、基本的には中止されているとのことで、今回はタイミングよくいただくことができただけのようです。
また、お住職様はお出かけされるタイミングだったはずですが、ご本尊様に関して書かれている「上宮太子御作無量寿如来」が「聖徳太子が作成した永遠の阿弥陀如来像」という意味であること。お十夜という「呑龍上人」を奉っている寺院で行われる法要のこと。お寺の歴史のこと、富岡製糸場の女工さんのことなどたくさんお話を聞くことができました。
とてもありがたいことです。もっと早く知りたかったお寺様でした。
寺号碑
参道
本堂
本堂 寺号額
子育て呑龍上人堂
子育て呑龍上人堂
千手観音堂
千手観音堂 堂内
大銀杏(上里町の勅使河原郷から寺と一緒に移植された銀杏だそうです。)
山門の彫刻1
山門の彫刻2
山門の彫刻3
山門の彫刻4
節分法要でお配りされていたお札(今回のお参りの際にいただきました。)
お十夜法要でお配りされていたお下がり(今回のお参りの際にいただきました。)
お十夜法要でお配りされていたお下がり2(今回のお参りの際にいただきました。)
お供物のお下がり 数珠守り(今回のお参りの際にいただきました。)
書置きにご住職自ら日入れしていただきました。(平成は消して下さいとのこと。)
名称 | 龍光寺 |
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参拝料 | なし |
トイレ | 千手観音堂の裏手 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0274-62-0528 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 本尊:阿弥陀如来(黒本尊無量寿如来)、観世音菩薩(胎内仏観世音菩薩像)、勢至菩薩 |
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山号 | 宮崎山 |
院号 | 宝国院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 1460年(長禄年間)ころ |
開山・開基 | 奥平貞俊 |
文化財 | 梵鐘(総高112.1㎝、口径65.1㎝)-室町-群馬県指定文化財
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ご由緒 | 龍光寺の創建は室町時代後期の長禄年間(1457~1460年)、奥平貞俊(美作守龍光)が開基となり貞誉上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。天正18年(1590)、奥平信昌が宮崎城(甘楽郡宮崎村)に3万石で入封した際、宮崎の地に移されたと思われます。 慶長6年(1601)に信昌が美濃加納藩(岐阜県岐阜市)に移封になると宮崎城は廃城となり江戸時代初期(慶長17年~元和3年:1612~1617)に七日市藩が立藩し下仁田街道(上州姫街道)の富岡宿が開かれると現在地に移転しています。 慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光から寺領を安堵されるなど庇護され寺運も隆盛し、本尊の黒本尊無量寿如来は聖徳太子が自ら彫り込んだと伝わる秘仏で富岡市指定重要文化財に指定されています。境内にある大イチョウは宮崎村にあったものを移植したと伝わるもので推定樹齢380年以上、樹高25m、根回り9.5m、富岡市天然記念物に指定されています。 又、境内には明治5年(1872)に殖産興業政策の一環として設立された官営富岡製糸工場で働いていた工女達の墓が30基存在し、名称"富岡製糸工場工女等の墓"として富岡市指定史跡になっています。 富岡製糸工場では8時間労働や日曜日休日、年末年始休み、夏休み、工場内医療施設、寮など当時の日本では画期的な労働環境が整えられましたが家族から離れた生活、製紙場独特の騒音や作業、工女達の身分格差(士族の娘も多く身分による羨望や確執)など現在でいうストレスが多く、チフスなどの流行り病が蔓延し明治34年(1901)まで60人近くの工女が死去し、その内の54人が龍光寺に葬られました。宗派:浄土宗。(出典:https://www.guntabi.com/tomioka/ryukou.html) |
体験 | 有名人のお墓 |
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