まんぷくじ|曹洞宗|西光山
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御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 寺院前に広い駐車場あり |
満福寺について
古河公方 足利成氏所縁のお寺
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今度は熊野神社の左(西)にあったお寺です。
こちらは曹洞宗の寺院。
右側の光明寺は地元の大庄屋が開基したお寺でしたが、こちらは歴史上の大物に所縁のお寺。
なんと五代目鎌倉公方にして初代古河公方 足利成氏公の開基にして墓所のあるお寺でした!?Σ(; ゚Д゚)
関東管領上杉氏相手に関東中を転戦、享徳の乱を30年間戦い抜いた猛者中の猛者!
滝沢馬琴の南総里見八犬伝にも滸河公方 足利成氏として登場する人物 (史実での成氏の読みは「しげうじ」、八犬伝では「なりうじ」)
戦国時代の始まりは全国的に見ると応仁の乱からと言われてますが、関東ではもっと早く、上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦、享徳の乱などが続く乱世に突入!
・・・どんだけヒャッハーだったんだ坂東武者(;´Д`)
小田原北条氏の台頭と上杉謙信の関東侵攻が始まる前は、関東の小豪族は古河公方を盟主として、概ね利根川を境に関東を二分して関東管領山内・扇谷両上杉氏と争っていました。(江戸時代以前の利根川は東京湾に注いでいた)
そんなワケで戦国前期の関東を知るうえで古河公方家は外せない存在です。
御朱印は住職不在で書き置きでした。
庫裏を出たところでちょうど御住職が帰られたところらしく「ご苦労様です」と声を掛けていただいたのですが、意外なことに住職は尼僧様!?Σ(; ゚Д゚)
法事か葬儀の帰りだったらしく、立派な袈裟を着たうえ、しかも手には三鈷杵のような法具を持った完全装備!
スゲーカッコ良かった。。。(*´Д`)
まるで古河公方家最後の姫、氏姫こと徳源院様が顕現されたかのようでしたw
こちらも住職不在だったため書き置き
ここの御朱印は年月日が入ってなかったので、自分で書いたのですごいヘタクソ(^^;
熊野神社前から
こちらは神社の隣ではなく少し離れてます
突き当たりの水色屋根の家の前を右に曲がった所
連歌師 猪苗代兼載にちなんで昭和30年に植えられた桜
残念ながらすでにほぼ葉桜(ノ∀`)
山門 ・・・おや?(・_・)
なんと山門に鐘が吊り下げられてる!?Σ(゚Д゚;)
理由不明、江戸時代の火災で鐘楼が焼失か?
安全のため普段は突き棒が外されてるようです
ここも境内は広くてキレイなお寺
端の方はチューリップなどが植えられた庭園
左にあったお堂から拝んでみます
「施無畏」とあるので観音堂かな?
本堂から続く方丈も立派
本堂
ん?本堂前になにかお飾りが・・・(゜゜)
おお!昨日が灌仏会だったのか(・∀・)
1日遅れですがせっかくなので私もシッダールタ君の誕生をお祝いします♪
お線香も用意されてたので焼香
ハッピーバースデー♪ リトルブッダ!
釈迦といふ いたずらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな 一休
一人で撮影しながら茶掛けするの難しい(>_<)
さっそく迷はされたわw
町指定重要文化財の阿弥陀如来の板碑
栃木県最古とのこと
観音堂の手前を回って墓地の方へ
成氏公のお墓を探してみます
墓地の方は芝桜が満開
墓地の隅の八重桜
お寺の隣は渡良瀬遊水池の土手
墓地の中程に・・・ありました!
足利成氏公の墓所
やっぱ公方様の戒名は院殿号付きの大居士なんだな・・・
うち? 大してお布施払ってないので最低ランクの信士・信女ですわ(ノ∀`)
ここも目の覚めるような芝桜
こちらは連歌師の猪苗代兼載の墓所
御利益は成氏公が勝負運で、この方は芸能とか技芸上達にしようかと思いましたが、ホトカミにカテゴリ自体がなかった(^^;
連歌とか俳句に関係する寺社は広い意味で学業成就でいいか?とも思いましたが、ちょっと違和感が・・・うーん(ーωー)
こちらはほとんど読めなかった(*_*)
名称 | 満福寺 |
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読み方 | まんぷくじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0280-56-0133 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 西光山 |
院号 | 乾亨院(乾享院) |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 1492年(明応元年) |
開山・開基 | 足利成氏(開基) 能山聚藝(開山) |
文化財 | 足利成氏の墓、猪苗代兼載の墓、満福寺の板碑 (町指定重要文化財) |
ご由緒 | 古河公方足利成氏の開基、東昌寺2世・能山聚藝の開山と伝えられている。
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体験 | 御朱印重要文化財祭り武将・サムライ有名人のお墓 |
Wikipediaからの引用
概要 | 満福寺(まんぷくじ)は、栃木県下都賀郡野木町野渡にある曹洞宗の寺院。正式には、山号を西光山、院号を乾亨院、寺号を満福寺という。古河公方ゆかりの寺院である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 戦国時代の明応元年(1492年)に建立された。古河公方足利成氏の開基、東昌寺2世・能山聚藝の開山と伝えられている[1]。寺伝によれば、もとは臨済宗の寺院であり、本尊も鎌倉円覚寺から移されたが、永正元年(1504年)に曹洞宗に改められた(『古河志』)[2]。 江戸時代に火災があったが、安政元年(1854年)に再建、現在に至る[3]。 戦国時代の連歌師猪苗代兼載の墓があることにちなみ、昭和30年代には兼載が好んだ桜が山門前に植えられており、名所となっている[4]。 ^ 野木町史編さん委員会 編 『野木町史 歴史編』 野木町、1989年、303頁(中世の寺院) ^ 古河市史...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 鉄道 東日本旅客鉄道(JR東日本)宇都宮線古河駅西口から徒歩28分(約2.3 km)、タクシー10分、市内観光用無料レンタル自転車「コガッツ」利用可[1] JR宇都宮線野木駅西口から徒歩54分(約4.6 km) 東武日光線新古河駅東口から徒歩36分(約3.0 km) ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレットより |
引用元情報 | 「満福寺 (栃木県野木町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%BA%80%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E6%A0%83%E6%9C%A8%E7%9C%8C%E9%87%8E%E6%9C%A8%E7%94%BA%29&oldid=95067991 |
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